第1回決勝でキューバ下し、初代王者
これまで4度開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の中で、日本人に最も印象深いのは平成21年の第2回ではないだろうか。決勝の相手が宿敵・韓国だった上、最後に決めたのがそれまで絶不調のイチローだったことが、よりドラマ性を高めた。
第1回が開催されたのは平成18年(2006年)だった。日本は第1、第2ラウンドを2位で通過。米国は第2ラウンドで敗退するという波乱があった。
準決勝で韓国を破った日本は決勝でキューバと対戦。初回に4点を先制すると継投でリードを守り切り、10-6で勝利した。最後は当時レンジャーズの大塚晶文が締めくくり、胴上げ投手となった。
不振のイチローが決勝タイムリー
第2回は3年後だった。前年の北京五輪で4位に終わり、リベンジを期す意味で五輪で指揮を執った星野仙一が監督候補に挙がったが辞退したため、巨人の現役監督だった原辰徳が監督に就任。それまでは「長嶋ジャパン」「王ジャパン」「星野ジャパン」などと呼ばれていたが、この時から「侍ジャパン」という名称が使われるようになった。
平成21年3月、東京ドームで行われた第1ラウンドを日本は2位で通過。米サンディエゴに舞台を移して行われた第2ラウンドは1位で通過した。さらに米国との準決勝も9-4で勝ち、決勝にコマを進めた。
活気づくチームの中で、独り蚊帳の外の選手がいた。当時31歳、現役バリバリのメジャーリーガーで侍ジャパンでも中心選手だったイチローだ。準決勝までの8試合で38打数8安打の打率.211と極度の不振に陥っていた。
3月23日、ロサンゼルスのドジャースタジアム。決勝の相手はこの大会5度目の対戦となる韓国だった。1点リードで最終回を迎えたものの、抑えで起用されたダルビッシュが同点を許し、延長に突入。10回表2死一、三塁で打席に立ったのはイチローだった。
韓国のマウンドは当時ヤクルトでストッパーを務めていた林昌勇。イチローが粘りに粘った8球目、やや甘く入ったボールをセンター前に弾き返し、2者生還した。ニコリともせず全く表情を変えないイチローに、現地の観戦者、日本でテレビを観ていたファンはしびれるような感動を覚えた。
平日昼間に日本が沸いた
その裏、ダルビッシュが韓国打線の反撃を許さず5-3で勝利。侍ジャパンはWBC連覇を果たした。
日本では平日昼間の放送にもかかわらず、視聴率は関東地区で36.4%をマーク。新聞の号外が発行され、東京タワーが日の丸をイメージした紅白色にライトアップされるなど、日本中がフィーバーに沸いた。