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最後に「斎藤佑樹のピッチング」を見せてくれ!

2020 3/19 06:00元永知宏
斎藤佑樹ⒸYoshihiro KOIKE
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ⒸYoshihiro KOIKE

プロ10年目、正念場のシーズン

かつて「ハンカチ王子」と呼ばれた男が、ひっそりとプロ10年目のシーズンに挑もうとしている。2006年夏の甲子園で優勝、東京六大学で通算31勝を挙げて北海道日本ハムファイターズからドラフト1位指名を受けた斎藤佑樹は、過去9年間でルーキーイヤーの2011年に挙げた6勝が最高の勝ち星だ。翌年の5勝のあとは0、2、1、0、1というさびしい勝利数が並ぶ。ここまでの通算勝利数は15、敗戦数は26。期待された分だけ、ファンの失望は大きい。

甲子園決勝で死闘を繰り広げた田中将大は、駒大苫小牧卒業後に楽天ゴールデンイーグルスに入団。7年間で99勝を挙げたあと、ニューヨーク・ヤンキースに移籍して6年間で75勝をマークした。かつてのライバルを並べて語る人はもういない。

2018年に100回大会を迎えた夏の甲子園の前後には、早稲田実業時代の斎藤の勇姿が何度も映し出されたが、その年も2019年も未勝利だったのだから、「もう終わった…」と言われても仕方がないだろう。

高校からプロ入りしていれば…

身長176センチ、体重77キロの体格は、プロ野球の投手の中では小柄な部類に入る。大学時代に150キロをマークした速球もいまは140キロ台に届くかどうか。打者を翻弄する投球術も、魔球と呼べるような変化球もない。

2010年11月に行われた入団会見で、大学に進んだことについて聞かれた斎藤は「間違いではないと思います。そのままプロに入ってもよいことがあったかもしれませんが、いろいろ大学で学ばせてもらい、いま、日本ハムに入ることができてうれしいです」と語ったが、「早稲田実業から直接プロに入っていれば……」と考える野球ファンは多いはずだ。

プロ2年目まで11勝を積み上げ3500万円まで上がった年俸は、1600万円になった(金額は推定)。これは一軍選手に設定される最低年俸で、プロで実績のない新人選手、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希や東京ヤクルトスワローズの奥川恭伸と同じ金額だ。

6月には32歳になる。もう後がない。あるプロ野球解説者は「この前、斉藤の後ろ姿を見たけど、あのケツではダメだね。プロ野球のピッチャーじゃない」と言う。

早大の後輩・有原航平に追い抜かれ…

現在のファイターズのエースは有原航平。早稲田大学時代に通算19勝を挙げ、ドラフト1位でファイターズ入団を果たしたのち、順調に勝ち星を重ね、昨年は15勝を挙げて最多勝利のタイトルを手にした(通算52勝)。斉藤は4年も後輩の投手に追い抜かれた形だ。2018年に甲子園春夏連覇を果たした大阪桐蔭の背番号1・柿木蓮、夏準優勝の吉田輝星(金足農業)など甲子園を沸かせた若手が一軍マウンドを目指している。

ファイターズの中で、斎藤に期待する者は多くない。ここ数年のピッチングを見ても、復活を予感させるような材料が見つからないからだ。2019年の投球回数はわずか21イニング。パ・リーグで5位に沈んだチームにあって、1度しか先発登板のチャンスがなかった。このまま、静かにユニフォームを脱いでしまうのか。

大学通算31勝の偉大さ

1980年代後半に立教大学野球部に所属した私は、大学通算31勝という数字のすごさがよくわかる(プロ通算117勝を挙げた小宮山悟の早稲田大学時代の勝利数は20)。斎藤がプロ入りした当時、「故障さえなければ、10勝くらいは余裕ですよ」と私はのんきに語っていたが、その見立ては完全に外れた。

もう2ケタ勝利も、ノーヒットノーランも、完封勝利さえも期待しない。私が斎藤に求めるのは、「これが斎藤佑樹だ!」を言えるピッチングを一度でもすること。繰り返しになるが、目に見えるプラス材料はほとんどない(昨年オフに結婚したくらい)が、手本となる先輩が身近にいる。現在、ファイターズの二軍監督をつとめる荒木大輔だ。

早稲田実業3年のとき、大学進学を希望していたが、スワローズが強行指名したことでプロ野球に進んだ。プロ14年間の通算成績は180試合登板(先発116試合)、39勝49敗2セーブ、防御率は4.80だった。そのうち4年間も、右ひじの手術・リハビリに費やしている。

心に残る投球を見せた荒木大輔

入団時の騒がれ方からすれば、荒木が残した数字は期待はずれだったかもしれない。しかし、彼はプロ野球ファンの心に残るピッチングを何度も見せてくれた。1992年には、スワローズのリーグ優勝を手繰り寄せる1611日ぶりの復活勝利。1993年の日本シリーズ初戦で、絶対王者の西武ライオンズを倒した。通算成績に表れない価値が彼にはあった。

今年1月、北海道の小学校を訪問した斎藤は、引退後について問われ、こう答えている。

「球団を経営する側になっても、監督やコーチになっても、ファンになっても、どの立場になっても、ファイターズを支えていきたい」

斎藤にとって、引退までに残された時間は多くない。最後に「斎藤佑樹のピッチング」を見せることが、これまで彼を応援してきたファンに対する責任でもあり、義務でもある。不完全燃焼のままでユニフォームを脱ぐことになったら、これほど悲しいことはない。

《ライタープロフィール》
元永知宏(もとながともひろ)
スポーツライター。1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。「レギュラーになれないきみへ」(岩波ジュニア新書)、「荒木大輔のいた1980年の甲子園」「近鉄魂とはなんだったのか?」(集英社)など著書多数。愛媛のスポーツマガジン「E-dge」(愛媛新聞社)の編集長も務めている。

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