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野村克也氏に仕えた橋上秀樹氏が明かす、誰も知らないエピソード

2020 3/1 06:00小山宣宏
思い出を語る橋上秀樹氏ⒸSPAIA(撮影:小山宣宏)
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ⒸSPAIA(撮影:小山宣宏)

ヤクルト、楽天で計11年仕える

戦後初の三冠王となり、指導者としても3度の日本一に輝いた野村克也氏が、2月11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。

日本のプロ野球史に多大な功績を残したが、「野村チルドレン」と多くの指導者も輩出。ヤクルトでの選手時代の7年間、楽天でのヘッドコーチ時代の4年間、野村監督に仕えた橋上秀樹氏に、思い出を語ってもらった。

「ぼやき」を「指示」と勘違いして激怒される

橋上氏は沖縄で滞在中、野村氏の訃報を聞いた。

「ちょうどキャンプ取材をしていた最中、突然野村さんのニュースが入ってきたんです。驚きました。その後は球界関係者や知人からの電話がひっきりなしで、しばらくはその対応に追われていました」

野村氏と最後に会ったのは、昨年7月11日に神宮球場で開催された、ヤクルトOB試合だった。

「楽天時代と同じように、監督の隣に座っていたんです。『まだまだこれから先もあるんだから、頑張れよ』と激励されたのを覚えています」

楽天時代、ヘッドコーチとして野村監督の下で2006年から09年までの4年間を過ごした橋上氏。当時の思い出は尽きないと話す。

「ある試合のノーアウト一塁という場面。野村監督が、『この場面はバントだよな。いや、絶対にバントだ』って、ブツブツ、ブツブツ話していたんです。そこまで言うんだったらと思って、私がバッターボックスの選手にバントのサインを出したんです」

その選手はサイン通りバントをして成功、ワンアウト二塁となった。だが、その直後、ベンチ内の雰囲気が一変した。

「野村監督が私のほうを見て、『おい、誰がバントをしろって言ったんだ!』とえらい剣幕で怒鳴ったんです。私は『監督がここはバントだよなっておっしゃっていたじゃないですか』と返すと、『バカ野郎! あれはオレがボヤいただけだ! 勝手にサインなんか出すんじゃねえぞ!』って叱られました(苦笑)」

楽天の球団上層部に「えこひいきの何が悪いんだ」

ボヤキで有名な野村監督らしいエピソードであるが、他にも人間味あふれる部分がある。

「06年のシーズン、息子の克則(現楽天一軍作戦コーチ)の起用を巡って、球団首脳と協議していたときのこと。実力的に見てもレギュラーでないにもかかわらず、監督は克則をスタメンで起用していた。『えこひいきだと思われますよ』と球団の上層部が忠告したら、悪びれることもなく、『えこひいきの何が悪いんだ』って返したんです。球団の上層部の方も苦笑いするしかなかったのですが、『ああ、監督も人の親なんだな』ということを、垣間見ることができた気がしています」

野村監督のおかげで「超二流」になることができた

ヤクルト時代、選手に対して意識改革を求めた野村監督。その背景には、「誰もが超一流の選手になれるわけではない」との思いがあった。

クリーンナップを打てる選手は、チームのなかでもほんのひと握り。あとは下位を打ったり、控えで出番を待っているかのどれかである。控えの選手にクリーンナップ並みの働きを野村監督は期待していない。

野村監督が就任した1年目の90年、橋上氏はフリーバッティングで、フルスイングしては外野にポンポンポンポン打球を飛ばしていた。そこへ野村監督がやってきて、

「王はバットをひと握り余らせて868本。オレはバットを二握り余らせて657本。お前さんはバットを目いっぱい持って、何本ホームランを打ったんだ?」

橋上氏はしばし考えた。

「私はこのチームで、どんな役割を果たせばいいんだろう。そのことを突き詰めて考えたんです。そこで出た結論は、『左投手には強い』という長所を生かして、打撃練習ではいつも左投手の人に投げてもらっていました」

当時のセ・リーグは、大野豊、川口和久(いずれも広島)、今中慎二、山本昌(いずれも中日)らそうそうたる左投手がいた。彼らが先発で登板することがわかると、スタメンで出場する機会が多くなっていく。92年の西武との日本シリーズでは、第6戦で工藤公康(ソフトバンク監督)からホームランを打った。

「私は超一流の選手にはなれませんでしたが、『超二流』の選手になることができました。17年も現役生活を送ることができたのは、間違いなく野村監督のおかげです」

楽天退団後も巨人、西武、ヤクルト、独立リーグの新潟などで指導者としてキャリアを積み重ねてきた。

「野村監督の下、楽天でヘッドコーチをやっていなければ、今の私はありませんでした。阪神で現役を引退した後、4年間はゴルフショップの経営に携わっていた。それが松井優典さんから、『楽天で一緒にやろう』とお声をかけていただき、指導者のチャンスをいただき、野村監督に指導者のイロハを学ぶことができた。私にとって監督とヘッドコーチとして過ごした野村さんとの4年間は、かけがえのない宝なのです」

野村氏のご冥福をお祈りする。

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