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ONをも上回る野村克也さんの驚異的なセイバーメトリクスの数値

2020 2/12 17:41SPAIA編集部
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84歳、虚血性心不全で死去

選手、監督としてプロ野球界に多大な功績を残した野村克也さんが2月11日午前3時30分、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。

選手兼任だった南海をはじめヤクルト、阪神、楽天で指揮を執り、歴代5位の監督通算1565勝。40代以下のファンには名将としての記憶の方が強いだろう。

もちろん、戦後初の三冠王、歴代2位の657本塁打など現役時代も大打者だったことは論を待たない。ただ、残っている映像や資料だけではいまひとつピンと来ないのも確かだ。そこで現役時代の成績からセイバーメトリクスの指標を算出し、いかに優れた打者であったかをあぶり出してみた。

3度のOPS1.000超え

出塁率と長打率を足し合わせたOPSは生涯通算で.865。歴代1位の王貞治氏の1.080や、2位・松井秀喜氏の.996に比べれば際立って高いわけではないが、1980年オフに引退するまで27年間と長い現役生活を送ったため、衰えの目立った現役終盤の成績が数値を下げていることは否めない。そこで年度別に比較してみた。

1.000を越えれば超一流とされるOPSは、1962年に1.036、1963年に1.007、1965年に1.038をマーク。1962年は44本塁打、104打点で二冠王に輝いており、王の.941、長嶋の.876をも上回っている。2019年に置き換えても、12球団トップの鈴木誠也(広島)が1.018だから、その凄さが分かるというものだ。

野村克也とONのOPS比較

1962、1963年のIsoPは驚異の.327

どれだけ長打を放ったかを測るIsoPはどうだろうか。1打数でいくつの塁を獲得したかを示す長打率は、例えば4打数4安打(全てシングルヒット)でも長打率1.000となるが、「長打率-打率」で算出されるIsoPは純粋に遠くへ飛ばす能力を浮き彫りにする。

.200以上ならスラッガーの証明とされるが、1962、1963年はともに.327、1965年は.317と驚異的な数字を残している。OPSと同じく1962年は王氏の.293、長嶋氏の.234を上回っており、2019年の12球団トップ、山田哲人(ヤクルト)の.288も遥かに凌駕している。

野村克也とONのIsoP比較


球場の広さや用具の進化などを考えると、当時と現代を単純比較はできないとはいえ、チームへの貢献度やファンに与えるインパクトは相当なものだったろう。

2019年のソト、山川穂高も上回るAB/HR

ホームランを1本打つのに要する打数を示すAB/HRも見てみよう。まず最初に2019年の数値から紹介しておく。12球団トップは43本塁打でタイトル獲得したソト(DeNA)の12.00。スタメンで出場していれば3試合に1発は放り込む計算だ。以下、パ・リーグのキング、山川穂高(西武)が12.19で2位、バレンティン(ヤクルト)が12.42で3位、デスパイネ(ソフトバンク)が12.44で4位、ブラッシュ(楽天)が12.91で5位と球界を代表するスラッガーが名を連ねる。

野村さんは、小鶴誠氏(松竹)の当時の日本記録、51本塁打を上回る52本塁打を放った1963年、驚異の10.58をマーク。前年1962年の11.11も含め、2年連続で王氏、長嶋氏を上回っている。三冠王に輝いた1965年も11.62、42本塁打、114打点をマークした1970年にも11.45を記録している。

野村克也とONのABHR比較


当時はプロ野球中継と言えば巨人戦だったためパ・リーグの人気が低く、自らを「月見草」と自虐的に表現したが、人気の分散している現代なら紛れもないスーパースターだったはずだ。球界では多くの野村チルドレンやその孫弟子たちが活躍している。天国から彼らの活躍をボヤキながら見守っているだろう。