657本塁打、1988打点はNPB歴代2位
2月11日、「ノムさん」こと野村克也氏が亡くなった。その一報はまたたく間に知れ渡り、球界だけでなく様々なところからお悔やみのコメントがメディアで報道されている。野村氏の影響力が大きかったことを伺わせてくれる。
そんな野村氏の功績は選手時代、監督時代と数え切れないほどある。選手としては戦後初の三冠王に輝き、NPB歴代2位となる通算3017試合に出場。657本塁打、1988打点も王貞治(現・ソフトバンク会長)に次ぐ歴代2位と打撃面では文句のつけようがない。ほぼ捕手として、これだけの数字を残しているのには恐れ入る。また、監督としてはヤクルトで3度の日本一も達成した。
しかし、なかなか歴代1位の数字は見当たらない。11970打席、10472打数、113犠飛、378併殺打といったところだろうか。どれもタイトルになるようなものではなく、どちらかというと調べなければ気が付かないものばかりだ。これほどまでの選手にも関わらず、歴代1位の数字が少ないのは、やはり王の存在が大きい。セ・リーグの人気球団である巨人の王や長嶋茂雄をヒマワリ、自身を月見草と例えたのは有名な話である。
1963年に当時の日本記録である51本塁打(小鶴誠/松竹/1950年)を更新する52本塁打を放ったものの、翌年に王が55本塁打を記録。最多本塁打記録は1年だけしか保持できなかった。また、1965年に自身初の首位打者を獲得と同時に戦後初の三冠王に輝いた。しかし、8年後にこれまた王が三冠王を達成。さらにはその翌年も2年連続での快挙を達成したことで、野村の偉業が霞んでしまった。
その他では、野村は本塁打王を8年連続を含む9回獲得しているが、王は13年連続、15回獲得している。野村がすごい選手であることは間違いないのだが、王がそれを凌駕してしまっているのである。
このように王の後塵を拝している野村だが、王を超えており、この先も破られないであろう記録がある。それはベストナインの受賞回数だ。