1972年から12年連続受賞の福本豊
1972年にダイヤモンドグラブ賞として創設され、1986年から現在の三井ゴールデングラブ賞として制定。現在も存続するプロ野球選手にとっての守備の勲章も2019年で48回目となった。
5年以上の取材キャリアを持つ新聞社、通信社、ラジオ、テレビ記者による投票で選出され、セ・パ各連盟の公式表彰に準じた特別賞として現在ではオフの恒例イベント。「この賞を目標にまた1シーズン頑張ります」と公言する守備の達人も少なくない。
48回もの歴史を重ねると記録という部分も気になるところ。通算連続受賞、通算受賞回数、ポジション別最多受賞など、各世代の野球ファンにとってもオフの野球談義の“つまみ”となるに違いない。
連続受賞回数、最多受賞回数、ポジション別のどれを取ってもナンバーワンのレジェンドは、「世界の盗塁王」の異名を持つ福本豊氏(元阪急)だ。1972年から1983年までパ・リーグの外野手部門に君臨し続けた。阪急の黄金期の不動の1番打者であり、通算1065盗塁は不滅の数字。ここに関しては非の打ち所がないというのが事実だ。
山本浩二、秋山幸二は10年連続
福本氏に次ぐ連続最多受賞歴を持つのは山本浩二氏(元広島)だ。こちらは1975年の広島初優勝の立役者であり、ミスター赤ヘルとして活躍したカープのレジェンド。歴代単独4位の536本塁打の打棒は有名だが、外野手としての守備も名手だった。セ・リーグの外野手部門で1972年から1981年の10年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。これがセ・リーグ記録となっている。
さらには西武、ダイエーで活躍した秋山幸二氏も10年連続で受賞(1987~1996年)。1987年に43本塁打、38盗塁で日本人初の40ー40、40本塁打、40盗塁に近づいた同氏は、守備力も抜群なオールラウンドプレーヤーだった。
連続という条件を外せばパ・リーグ捕手部門で伊東勤氏(元西武)が11回、セ・リーグ捕手部門で古田敦也氏(元ヤクルト)が10回の受賞。セ・リーグ一塁手部門で駒田徳広氏(元巨人、横浜)が10回、セ・リーグ遊撃手で6回、三塁手で4回の宮本慎也氏(元ヤクルト)が計10回の受賞を誇る。
守備のスペシャリストに送られる賞ではあるものの、錚々たる顔ぶれを見渡すと攻守に渡る名選手が目白押し。だが、日本が誇るレジェンドを忘れてしまうと困るというもの。あくまで裏技ではあるが、日米通算でとんでもない記録を保持する名選手が存在する。
日本で7年、メジャーで10年連続受賞のイチロー
その存在は2019年に引退したイチロー氏(オリックス、マリナーズなど)だ。イチロー氏は1994年から2000年の7年連続に加え、メジャー移籍後1年目の2001年から2010年まで10年連続でゴールドグラブ賞を受賞。実に17年連続で受賞していることになる。福本豊氏を完全に凌駕しているわけだ。
この事実を福本豊氏も把握しており、こんな言葉を残している。
「いつやったか忘れたけどね。イチローは全ての数字で一番になると言っとったよ。そらタイプが違うからホームランや打点は王さんが別格やけどね。出場試合数、安打数、得点とか一番上に名前がくるようにするってね。僕は盗塁は抜かれへんかったけどね」。
実際、NPBの歴代通算記録ランキングでは日米合算を適用しないためイチロー氏の名前はない。だが、日米通算の数字を含めれば3604試合で、谷繁(元横浜、中日)の3021試合を抜きトップ。得点でも2078で王貞治(元巨人)の1967を超えている。プロ野球で放った安打数としてギネス記録の4367安打はダントツだが、二塁打、三塁打も日米通算でNPB記録を突破している。
各リーグの試合数など条件が違うため、もちろん簡単には比較はできない。ただ、17年続けて日本のみならず、レベルの高いとされるMLBでも守備力を評価された実績は厳然たる事実。イチロー氏本人がジョークで「日米通算なんて認めないよ」と話したこともあるが、記録ついての概念も改め直す時代に来ているのかもしれない。