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2011年に大逆転優勝もその後は低迷した中日の2010年代

2020 1/13 06:00勝田聡
落合博満ⒸYoshihiro KOIKE
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ⒸYoshihiro KOIKE

2013年から7年連続Bクラスと苦しむ

2010年代の中日は苦しんだ。2011年に落合博満監督が退任してからは、2012年こそ2位だったものの、それ以降は7年連続Bクラス。とくに2015年以降の後半5年間は4位にもなれず、5位が4回、最下位が1回と低迷している。

2010年代の中日ⒸSPAIA

2012年以降は高木守道、谷繁元信、森繁和がそれぞれ監督を任されたが、結果を残すことができなかった。そして、2019年からは与田剛が監督に就任。2010年からの10年間で5人目の監督だ。

黄金時代を築いた落合監督は、2013年オフから2017年1月までゼネラルマネージャー(GM)を務めたが、チームの順位を押し上げるには至らなかった。一方で大幅なコスト削減を敢行したことが成果として取り上げられることもある。チームの功労者であった井端弘和らにも大幅な減俸を打ち出すことができたのは、落合GMだったからだろう。

落合GMはドラフトで社会人の選手を中心に指名していたが、退任後は高校生、大学生の指名が増えた。2017年は1位の鈴木博志こそ社会人出身だが、2位から6位までの5名全員が高校生。その後も2018年は根尾昂、2019年は石川昂弥と高校生野手の有望株を重複覚悟で指名し、くじを引き当てた。このことからも翌年からの活躍を見込むわけではなく、より先を見るようになったことがわかる。

近年のドラフトで獲得した高校生たちが、一軍の戦力となった時が楽しみだ。

2011年に球団史上初のセ・リーグ連覇を達成

2010年代で印象に残るのは落合監督の最終年となった2011年だろう。前年にリーグ優勝を果たし、ディフェンディングチャンピオンとして臨んだこの年。東日本大震災の影響もあり、開幕は4月12日だった。中日は4月こそ6勝7敗1分と借金スタートも、5月終了時点で2位につけるまずまずのスタートを切っている。

ところが、6月、7月と2カ月連続で負け越し、8月2日時点で首位のヤクルトとは10ゲーム差。逆転優勝は不可能のように思われていたが、落合監督は慌てず、8月の試合を13勝8敗3分と5つの勝ち越しで終え3位に浮上する。9月もその勢いは衰えず、15勝6敗3分と勝率は7割を超える驚異的な強さを発揮。10月6日に首位に立つと、10日からのヤクルトとの4連戦で4連勝。完全に引導を渡し、18日の横浜戦で優勝を決めた。中日にとって球団史上初めての連覇でもある。

優勝を決めた日に落合監督が、「ドラゴンズは75周年になるが、連覇は4分の3世紀で1回もない。やっと扉を開いた」とコメント。中日の歴史を作ったことを強調している。
中継ぎの浅尾拓也が79試合に登板し、7勝2敗10セーブ、45ホールド、防御率0.41と圧倒的な成績で最優秀中継ぎのタイトルとMVPを受賞。優勝の立役者となった。また、吉見一起は18勝3敗、防御率1.65で最多勝、最優秀防御率の2冠を達成している。統一球の影響はあったにせよ、チーム防御率2.46が示すとおり、投手陣の力で優勝をもぎ取った。

日本一こそ奪い取れなかったものの、リーグ優勝という置き土産を残し落合監督はユニフォームを脱いだ。

2010年代のドラフト指名選手たちが躍進

中日の黄金時代を支えた中心メンバーが、2010年代後半に次々と現役を引退した。7年連続Bクラスという成績からもわかるとおり、その主力メンバーからの世代交代はうまくいっていない。しかし、ここにきて若手が頭角を現しはじめてきたことは明るい材料といえる。

特に2010年代後半にドラフト指名された選手、投手陣では小笠原慎之介(2015年1位)、柳裕也(2016年1位)、藤嶋健人(2016年5位)らが主力となった。野手では阿部寿樹(2015年5位)、京田陽太(2016年2位)がそうだ。その他、山本拓実(2017年6位)、梅津晃大(2018年2位)、根尾昂(2018年1位)、石橋康太(2018年4位)、石川昂弥(2019年1位)と楽しみな選手は多い。

2010年代の苦労をただの苦労で終わらせないためにも、彼らがチームを引っ張り2020年代に花を咲かせることに期待したい。

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