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田中将大と黒田博樹は、なぜヤンキースの10年代ベスト先発陣に選ばれたのか

2020 1/7 17:00棗和貴
黒田博樹と田中将大
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Ⓒゲッティイメージズ

ヤンキースの2010年代ベスト先発陣に田中将大と黒田博樹

2019年12月25日、ニューヨークのテレビ局SNYで長年野球コラムニストとして活躍するジョン・ハーパー氏は、二人の日本人に素敵なクリスマスプレゼントを贈った。田中将大と黒田博樹を2010年代のベストローテーションに選んだのだ。田中は2019年シーズンで引退したCC.サバシアに次ぐ2番手、黒田は5番手に選ばれた。常勝軍団として補強を繰り返し、ビッグネームが毎年のように加わるヤンキースにおいて、なぜ二人の日本人は最高の先発投手陣に選出されたのだろうか。

田中将大は、真のエースのようだった

「田中将大は、ヤンキースデビューの2014年、真のエースのようだった」ハーパー氏は田中をそう評価した。

田中将大のデビュー戦は、2014年4月4日のブルージェイズ戦だった。敵地トロントのマウンドで田中は7回2失点と好投し、初勝利を飾った。デビューイヤーの防御率は2.77。肘の負傷のため、イニング数は136.1回と十分な数字ではなかったが、それでも振り返ってみると防御率2.77は2010年代におけるヤンキースの先発投手の中で最も良い数字だった(100イニング以上)。

また、ポストシーズンの強さも田中将大をベストローテーションに選んだ理由として挙げている。2015年のアストロズとのワイルドカードから2019年のア・リーグ優勝シリーズ第4戦まで、8試合を投げて防御率はわずか1.76。ハーパー氏がベストローテーションの1番手に挙げたCC.サバシアのポストシーズン防御率(2010-19年)は4.17だったので、ポストシーズンにおいても田中が「真のエース」と言ってもよさそうだ。

黒田博樹、QS数は在籍3年間で常に1位

ハーパー氏は「黒田博樹はヤンキースに在籍した3年間(2012-14)において、ほかの候補者より我慢強く、一貫性があった」と言う。

ベストローテーションから漏れた先発投手のなかには、黒田博樹より勝利数が多かったり、防御率がよかったりする選手は存在する。例えば、イバン・ノバ(2010-16年に在籍)はヤンキースで黒田より多い通算53勝を挙げ、2013年にはその年チームベストの防御率3.17を記録している。ただノバの場合はあるシーズンが良くても次のシーズンで精彩を欠き、信頼を得られなかった。またイニング数に関しても200回に届くシーズンはなく、物足らないものだった。

一方、黒田は安定していた。ヤンキースに在籍していた3年間で200イニングを下回ったのは、2014年の1シーズンだけ。しかも、2014年の投球回数は199イニングだった。そして注目すべきは、クオリティースタート数(QS)が3年連続でチーム1位だったことだ(2013年はチーム1位タイ)。QSとは、先発投手が6イニング以上を投げ、自責点3以下に抑えることを意味する。つまり黒田博樹は、ヤンキースに在籍した3年間、常に先発としての責任を果たし続けたのだ。

2010年代のヤンキース「王朝の崩壊と再建」

ヤンキースファンにとって、これほど辛い10年間はなかったかもしれない。2009年、松井秀喜氏がワールドシリーズのMVPに輝いたあのシーズン以来、ヤンキースは世界一はおろか、その舞台にすら立てていない。MLB球団のなかで最多のリーグ優勝を誇る常勝軍団は、2010年代に1度もアメリカンリーグのペナントを獲れていないのだ。

ヤンキースにとって2010年代前半は、言ってみれば「王朝の崩壊」だった。デレク・ジーター、マリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダ、アンディー・ペティットという、ヤンキースの黄金時代を築いた「コア・フォー」が次々とチームを離れ、2013年と2014年には2年連続でポストシーズンを逃した。ヤンキースが連続してポストシーズンに出られなかったのは18年ぶり。80年代から90年代前半にかけてヤンキースが苛まれた暗黒時代以来となる悪夢だった。

転機は田中将大の加入だったのかもしれない。2014年に海を越えた一人の日本人はヤンキースに活気を与え、先に見たようにエースの一人にまで成長した。また、2017年にはアーロン・ジャッジやゲイリー・サンチェスといった生え抜きが台頭する。そして2019年オフ、ヤンキースはMLBを代表する先発投手、ゲリット・コールを獲得した。

2020年代が始まる。ヤンキースに再び黄金時代は訪れるだろうか。

※日付は現地時間

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