阪神・背番号41 高橋聡文
今年も多くの引退発表があった2019年のプロ野球。引退者の中にはチームの主力として長年に渡り貢献を続けたレジェンド達も含まれた。ファンに愛され惜しまれながらもチームを去り行く戦士たちを紹介する。
高橋聡文はプロ3年目の2004年に一軍デビューを果たすと、05年にはチームトップの61試合に登板。10年には自己最多の63試合に投げ、防御率1.61を記録するなど、チームのリーグ優勝に貢献した。その後は故障に悩まされるも、15年オフにFA権を行使して阪神へ移籍。
16年からは2年連続で50試合以上に登板するなど、フル回転の活躍を見せた。しかし、18年に左肩のコンディション不良で一軍を離れると、今季もその影響で二軍生活が続き、現役引退を決意した。

中日時代には浅尾拓也、岩瀬仁紀らとともに、鉄壁の救援陣を形成。先発を一度も経験せず、500試合以上に登板した投手は過去5人しかいない。投手としては小柄ながら強気の投球を貫いた左腕は、リリーフひと筋でプロの世界を生き抜いた。














