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名監督は捕手出身者が多いのか?30年間の監督の出身ポジションから見えるもの

2019 12/9 11:00本松俊之
野球のイメージ画像ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

捕手出身者がおよそ2割だが…

「名監督」と言えば捕手というイメージがあるが、ここ5年で捕手出身の監督で日本一になったのはゼロ。時代は移り変わってしまったのか?今年で10年代が終了するということで、捕手出身監督が活躍した1990年から2019年までの30年間、監督を務めた人物の現役時代のポジション別成績を調べてみた。

(※本稿では、球団ごとに監督経験者を数えており、例えば野村克也はヤクルト、阪神、楽天でそれぞれ1人としてカウント。ただし、同一球団で複数回務めた場合は1人として数え、例えば原辰徳のように、巨人で3度監督を務めた場合は1人とカウントしている)。

この30年間は12球団制であったため、単純計算では1球団あたり、およそ8人の監督がチームを率いたことになる。また同じく単純計算すると平均の在位期間はおよそ3年だ。もっともこの間の監督経験者は球団によって大きな差があり、最も少ないのは原監督が3度務めた巨人とソフトバンクの5人。近鉄は4人だが、球団が04年を最後にオリックスと統合したので比較の対象からは外す。

楽天は05年からNPBに参入したが、今年退任した平石洋介監督までで、すでに7人の監督を起用している。一方で、最も監督経験者が多かったのは、2度登板の仰木彬を含むオリックスの13人。監督がシーズン途中で交代したことも2回あった。

さて、延べ98人の監督たちの現役時代の守備位置はどうだったのだろうか。

ここでは投手、捕手、内野手、外野手、そして、ユーテリティープレイヤーで内野手・外野手どちらとも規定できない選手(以下、守備位置不定)に分けて集計してみた。

表1_リーグ各球団監督の出身ポジション_ⒸSPAIA


冒頭でも述べたが、野村克也と森祇晶が監督として輝かしい功績を残したので、名監督といえば彼らが現役時代に務めた捕手のイメージがやはり強い。ただひとり、他の選手たちと正対する位置でホームベースを守り、投手にサインを出す捕手には、司令塔のイメージが強いということもある。

実際、監督に起用された捕手出身者は、セ・パ両リーグ各球団あわせて延べ20人。98人に対し、およそ2割が捕手出身者となっている。 内野手のポジションは4つ、外野手は3つ。また、投手も先発、中継ぎ、抑えと、さまざまな「職種」があり登録選手も多いので、捕手出身が2割というのはかなり高い比率と言えるだろう。投手出身は19人、内野手出身は36人、外野手出身は22人、守備位置不定が1人となっている。

ちなみに捕手経験者は各球団で数えると延べ20人だが、実際の人数は13人。2つ、3つと複数の球団を渡り歩いた監督が5人おり、それだけ、捕手の監督経験者が多くの球団で必要とされ、監督を務める機会が多かったということもできる。

大きい野村監督と森監督の存在

表2_リーグ優勝監督の優勝回数と出身ポジションⒸSPAIA


リーグ優勝をした監督の現役時代のポジションとそれぞれの優勝回数も見てみよう。

投手出身10回、捕手出身12回、内野手出身26回、外野手出身11回、守備位置不定が1回となっている。確かに名監督は捕手出身者に多いと言えそうだが、それぞれの数字には複数回優勝した監督が含まれている。

巨人は内野手出身監督の優勝が11回を数え、内野手出身の回数全体の半分弱を占めているが、そのうちの8回は原辰徳、3回は長嶋茂雄だ。

ヤクルトは捕手出身が4回。これらはすべて野村監督の時代に達成されたもので、そもそもそれ以外の捕手出身者は06年(3位)と07年(6位)に指揮をとった古田敦也だけ。広島は外野手が4回で、このうち3回は緒方孝市が率いて達成した3連覇で、中日は内野手が4回。これはいずれも落合博満監督時代のものだ。西武は捕手が6回。うち5回は森監督時代の5連覇である。

捕手出身のリーグ優勝回数が多いのは、4回の野村、5回の森両監督がいたからだとも言えそうだ。それだけ二人の存在感は図抜けており、その他の捕手出身者では、01年に近鉄、09年に日本ハムで優勝した梨田昌孝と04年の西武・伊東勤しかいない。捕手出身の監督の中で、梨田は唯一複数球団で優勝を果たした。野村(ヤクルトの後に阪神、楽天)、森(西武の後に横浜、現DeNA)にも達成できなかった快挙だ。

各チームの特徴は?

チーム別の特徴を見てみると、巨人には捕手出身の監督がいない。V9時代の不動の捕手だった森がもし巨人に残っていたらどうなっていたかを考えてみるのも一興だが、巨人ではミスター・ジャイアンツの長嶋が川上哲治の後を受けて監督になることが既定路線だったため森の出番はなかった。74年に「わが巨人軍は永久に不滅です」と今も語り継がれる引退セレモニーをした長嶋とは対象的に静かに引退をした森は、ヤクルト、西武のコーチを経て、86年に西武の監督となり、指導者として花開いた。

ヤクルトには投手と内野手出身の監督がいない。野村以外でリーグ優勝を果たしたのはいずれも外野手出身の若松勉と真中満だ。

広島にも投手出身の監督がおらず、30年間で4回のリーグ優勝は、いずれも外野手出身の山本浩二と3連覇を果たした緒方孝市による。

ソフトバンクでは、投手出身者は現監督の工藤公康のみ。リーグ優勝は2年連続で逃したものの、日本シリーズは3連覇中、来年が就任6年目となる工藤は、長期政権が多い同球団で14年続いた王貞治にどこまで迫れるか。

西武には外野手出身の監督がいない。黄金時代を選手として支えた秋山幸二はソフトバンクで6年間監督を務め3度のリーグ優勝を果たしているのだが。また投手出身の監督が3度の優勝をしているのは西武だけだ。

佐々岡(広島)、高津(ヤクルト)がこの30年ではチーム初の投手出身監督に

19年シーズンの監督の出身ポジションをあらためて見てみると、投手が2人、捕手が1人、内野手が3人、外野手が6人だった。ペナントレースを制した巨人・原監督、西武・辻発彦監督はいずれも内野手出身だ。

特定のチーム一筋で選手生活を送り、そのチームでリーグ制覇をした監督は意外と少ない。優勝した監督12球団延べ29人から、3球団で優勝を遂げた星野仙一、2球団の梨田の重複分を除くと経験者は26人。その中で生え抜き選手から後に監督になって優勝したのは半分以下の11人しかいない。出身ポジションは、投手3人、捕手2人、内野手2人、外野手4人となっている。

20年シーズンに向けて、広島には佐々岡真司、ヤクルトには高津臣吾と、両球団ともこの30年で初めて投手出身者を監督に起用する。佐々岡は生え抜き選手から出身チームの監督となる。高津もNPBではヤクルト一筋だ。また、楽天には三木肇が球団初の内野手出身として監督に就任する。

監督のチームマネジメント術を出身ポジション別に考えるのも楽しみの一つになりそうだ。