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中日・谷元圭介3年で年俸4割減…巻き返しへ意欲

2019 12/3 17:39楊枝秀基
ナゴヤドームⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

減額制限超える6000万円で契約更改

この時期、各選手は悲喜こもごものオフを迎える。活躍すれば夢のような大金を手にすることもできれば、思ったようにプレーできず大減俸というケースもある。

中日・谷元圭介(34)は11月25日にナゴヤ球場で契約更改交渉を行い、野球協約の減額制限(1億円以下は25%)を超える2500万円減の6000万円でサイン。2016年オフには1億円を勝ち取った右腕だが、わずか3年で4割減になった。

身長167センチと体格に恵まれてはいない。プロ入りもトントン拍子ではなかった。

中部大から社会人へ進むときには、身長を理由に大企業から勧誘を受けられなかった。「大学から社会人に行くときに悔しい思いをしました。身体が大きくないということだけで、大企業からは獲得を見送られました。その時くらいですかね。体が小さくて悔しかった経験は」と当時を振り返る。

ただ、自信はあった。

「18.44メートルの距離は平等ですしね。自分なりに工夫もした。低目にボールを集めるばかりではなく、低い腕の位置から浮き上がるような高目のボールも通用する。高低と緩急をうまく使えれば、プロでもやっていけると思っていました。プロの世界に入ってしまえば何とかなる、こっちのものだと思ってました」

自らを信じ社会人では腕を磨き続けた。薬品卸会社のバイタルネットでは1年目の2007年からエースとして活躍し、チームを日本選手権出場に導いた。翌2008年にはTDK千曲川の補強選手として都市対抗にも出場。同年ドラフトで、入団テストを経て日本ハムに7巡目で指名された。

年俸500万円から1億円到達

この時点で谷元の年俸は500万円のスタート。そこから言葉通りにプロでの実績を積み重ねた。2014年には52試合に登板し年俸5200万円で契約、入団時の10倍を超えた。2015年は自己最多の61試合に投げ7200万円。そして3年連続50試合登板とした2016年には、広島との日本シリーズで胴上げ投手となるなど、オフには1億円の大台を勝ち取った。

「僕みたいな立場、中継ぎ投手が1億円というのは夢があると思う」と語っていた通り有言実行の突破劇だった。

ここをピークに2018年は不調で8試合の登板にとどまり1500万円減の8500万円にダウン。そして今季は38試合で0勝1敗13ホールド、防御率5.22と波に乗れず、8月以降は一軍昇格することもなかった。シーズン後には球団から提示された大幅減俸の条件提示を受け入れていた。

2020年の目標は50試合登板

ただ、谷元は下を向いてはいない。免除だった秋季キャンプにも志願の参加。米国から取り寄せたという特殊な器具を取り入れレベルアップに努めた。腰と右足首にベルトを装着し、ベルト同士を2本のバネで繋いだ器具でキャッチボールなどを行い、下半身、特に右脚をしっかりと使うことに意識を置いた。

「(器具の使用により)気づけたところがあった。(フォームの)修正も、レベルアップもしたい。(打者を)抑えていた、良かった頃の感覚が蘇ってきたように思う。サボって投げていたのかなという感想を持った。体の使い方を改めて感じた。筋力が弱っているというのではなく、使えていなかったのかなと感じられた」と成果を実感している。

「来季は36歳になるシーズン。でも、まだまだやれるところを見せたい。チームとしてはAクラスではなく優勝。個人ではここ2年続けて50試合登板できていないので、そこを目指してやっていきたい」

減俸も悔しいが、野球選手としては思ったような活躍ができないことが歯痒いに違いない。ベテラン右腕がもう一花咲かせるのか。体格のハンデを跳ね返し、年齢による衰えにも抗い、谷元が巻き返しの2020年に挑む。