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山口俊は続けるか?メジャーで活躍した日本人フォークボーラーの歴史

2019 12/4 11:00青木スラッガー
読売ジャイアンツの山口俊ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

山口俊の決め球「フォークボール」過去に武器とした日本人メジャーリーガーは

ポスティング制度によるメジャー挑戦の意向を表明している巨人の山口俊。巨人が初めて認めるポスティング移籍ということもあり、その動向は大きな注目を集めている。

山口の今季成績は15勝4敗・勝率.789・防御率2.91・188奪三振で、最多勝・最高勝率・最多奪三振のタイトルを獲得。世界野球「プレミア12」ではエースナンバー「18」を背負い、日本を代表する右腕へのぼりつめる1年となった。

そんな山口の決め球として、最大の武器となっているのはフォークボールである。大リーグではフォーク、またはスプリットと呼ばれる“挟む系”の変化級は「故障のリスクが高い」として敬遠されがちで、投げる投手は少ない。その分、この決め球を日本時代同様に操ることできれば非常に有効となるだろう。過去にも多くの日本人投手がフォーク、スプリットを武器に成功を収めてきた。

「パイオニア」野茂を筆頭に、伊良部、佐々木も続いた

メジャー挑戦のパイオニアであり、メジャー通算123勝を挙げた野茂英雄も決め球は落差の大きいフォークだった。野茂が海を渡ったのは1995年。当時は今よりもさらに落ちるボールの使い手は少なく、トルネードの投球フォームとともに野茂のフォークが米球界に与えた衝撃は大きかった。

野茂の次に先発投手として大リーグで成功したのは1997年に渡米した伊良部秀輝。ヤンキース時 代の1998年からは2年連続2桁勝利を挙げた。伊良部といえば160キロに迫る速球が印象的だが、落ちるボールも当時では珍しい140キロ台に乗る「高速フォーク」だった。

1998年にメジャーデビューし、2年目に12勝を挙げた吉井理人は近鉄時代に野茂からフォークを直伝されたという。大家友和はドラフト入団した横浜で5年通算1勝と、日本では芽が出なかったが、1999年の渡米後に開花。フォークを含む多彩な変化球を操りメジャー通算51勝を挙げた。

ここまで先発投手の名前が続くが、2000年にはフォークボーラーとして球史でも代表的な存在である“大魔神”佐々木主浩が登場。1年目からクローザーとして37セーブを挙げるなど、メジャー4年で通算129セーブを残している。

2000年以降も続々と日本人が海を渡るが、ここからしばらくは石井一久(スライダー)、大塚晶則(カットボール)、高津臣吾(シンカー)、斎藤隆(日本時代に投げていたフォークを封印してスライダー)、岡島秀樹(チェンジアップ)、松坂大輔(スライダーやチェンジアップ)と、違った変化球を決め球にする投手の成功が続いた。

大谷、田中、平野、田澤の現役投手含め近年も多数のフォークボーラー

久しぶりに落ちるボールの操り手として成功したのは2008年にデビューし、メジャー通算79勝を挙げた黒田博樹ということになるだろう。黒田の場合はフォークというより浅い握りのスプリットで、小さく鋭く落ちる変化でゴロアウトを稼いだ。

2009年には上原浩治と田澤純一がメジャーデビュー。2013年からはレッドソックスでチームメートとなり、ともにストレートとフォーク中心の組み立てで三振を奪う投球スタイルで勝ちパターンを担う。上原はクローザー、田澤はそこにつなぐセットアッパーとして、2013年のワールドシリーズ制覇に貢献した。

2012年は岩隈久志、2014年は田中将大と楽天のエースが続けてデビュー。野村克也元楽天監督は2人のフォークに「通用する」と太鼓判を押していたが、結果としてその通りになった。特に1年目の田中は、シーズン途中に肘を故障するまでフォークを決め球として多投し、このときの威力すさまじかった。

2018年は大谷翔平、平野佳寿がデビュー。大谷は10登板でリタイアとなってしまったが、デビュー戦からストレートとフォークのコンビネーションは冴えわたり三振の山を築いた。平野はカウント球に使えるほど繊細に制球できるフォークを武器にし、1年目から32ホールドを挙げている。

野茂からはじまり、一時は少なくなったが近年メジャーの舞台で再び勢いを増してきている日本人フォークボーラー。山口もメジャー挑戦の夢を叶え、この流れに乗ることができるだろうか。ポスティングの行方を見守りたい。