オリックス・バファローズは関西球団の連合チーム!
オリックス・バファローズという球団が生まれたのは厳密には2004年のことです。それまではオリックス・ブルーウェイブという神戸を本拠地とする球団であり、さらにさかのぼれば阪急ブレーブスという球団でした。
のちにオリックスが阪急ブレーブスを買収し、オリックス・ブレーブスとなり、さらにオリックス・ブルーウェイブへとチーム名を変更します。ブルーウェイブは、ご存知スーパースター、イチローがアメリカにわたるまで在籍し、大活躍した球団ですよね。その当時、関西には近鉄バファローズという大阪を本拠地とするライバル球団があったのですが、2004年にオリックス・ブルーウェイブが吸収し、オリックス・バファローズが誕生しました。
オリックス・バファローズ初の日本一は1975年!
オリックス・バファローズが球団初の日本一となったのは1975年でした。もちろん当時はオリックスでもバファローズでもない、阪急ブレーブス時代でした。名将・上田監督の指揮のもと、チームは1936年の創設から40年たってはじめての優勝カップを手にするのです。
しかし当時はまだ優勝パレードが現在ほど習慣化していなかったからか、現在みられるように、本拠地での大パレードは行われませんでした。阪急球団の本拠地である梅田でのセレモニーとちょっとしたミニパレードだけで終わったようです。
感動の95年優勝パレード
1995年は、すべてのオリックスファン、神戸市民のみならず、日本国民すべてにとって強い印象に残る年となりました。阪神淡路大震災がこの年の1月に起きたからです。オリックスの地元である兵庫県だけでも6000名を超える死者となった稀にみる大災害。オリックスもチームの建物が破損したり、家族が被災したりするなど大きな影響を受けました。
しかし、そこはメンタルのタフなプロスポーツ選手たち。「野球でがんばって、神戸の人たちを元気づける。それが俺たちのできることだ!」というコンセンサスのもと、チームはシーズン開幕時から爆走。圧倒的な大差をつけてリーグ優勝を果たします。優勝パレードの沿道にはイチローなどチームのスター選手たちをひと目見ようとおおぜいのファンがつめかけ、いつまでも声援を送り続けていました。
震災の年に…祝賀会秘話
1995年の優勝パレード前、オリックスの内部には一つの懸案事項がありました。それは「優勝祝賀会でビールかけをするべきかどうか」ということでした。たとえば1988年、両リーグの優勝チームだった中日と西武は、「昭和天皇の病状悪化に配慮して」ビールかけを中止しています。また2001年には、アメリカで9.11同時テロがあったことを受けて、やはり両リーグの優勝チームはビールかけを中止しています。
しかし、オリックスはあえてビールかけを行ったのです。それは「震災で元気をなくしている神戸市民のためにも、明るいムードを提供したい」というチームの思いがありました。「がんばろうKOBE」を合言葉とするチームの勢いは、そのまま翌年の日本一へと結実します。
オリックス・バファローズ4度目の日本一!
1996年はオリックスファンにとって最高の年となりました。前年95年は惜しくも日本シリーズ優勝を逃したオリックス。震災の年にリーグ優勝を成し遂げた一方で、チームもファンも、頂上に立てなかった悔しさを抱えたまま96年シーズンに突入。雪辱をはらすべく、全力で闘ったナインたち。
そしてファンの応援の甲斐もあり、ついにオリックスは阪急時代から数えて4度目の日本一に輝きます。優勝パレードは前年同様大挙したファンで大盛り上がりしましたが、リーグ優勝と日本一とではやはり、ありがたみも一味違うもの。オリックスに吸収された近鉄バファローズのファンの思いも救い上げる快挙でした。
まとめ
いかがでしたか?
オリックス・バファローズの優勝の歴史には、チーム名の変遷や悲しい震災の歴史などいろいろなエピソードがあったんですね。
以上「オリックス・バファローズの優勝パレード&祝賀会秘話まとめ!」でした。