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山口俊が巨人から初のポスティング 巨人初のFA宣言は誰?

2019 11/22 06:00勝田聡
巨人初のポスティングを使った山口俊ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

巨人が初のポスティングシステム利用へ

プレミア12も終わり、話題がストーブリーグ一色となった。日本代表が韓国代表に勝利したその翌日となる11月18日に大きな話題が2つ駆け巡った。それは、ロッテからFA権を行使していた鈴木大地の楽天入り、そして山口俊(巨人)のポスティングシステムを利用したMLB挑戦である。とくに山口の話題には驚きが大きかった。

なぜなら、これまで巨人がポスティングシステムによるMLB移籍を認めていなかったためだ。松井秀喜や上原浩治といった、巨人に入団してから輝かしい実績を誇っていた選手でも認められなかった。この2人でも認められないのであれば、どのような選手でも海外FA権を行使しての道しかないと思われていた。

今回の山口は2016年オフのFAによる移籍の際に「ポスティングを認める」という条項があったと発表されており、いわば契約を履行した形。その他の選手とは少し状況は違うものの、巨人からポスティングシステムを利用する第1号選手となる。 さて、ここでFA移籍に関して巨人のさまざまな「初めて」を振り返ってみたい。

駒田徳広が導入初年度に横浜へ移籍

巨人に所属する選手がFA宣言をしたのは、意外にも制度が導入された初年度の1993年のことだった。この年、4名の選手が初めて権利を行使したが、そのなかにいたのが巨人に所属していた駒田徳広が含まれている。

駒田は1980年ドラフト2位で桜井商業高校から巨人へと入団。3年目に一軍初出場を果たすと初打席で満塁本塁打を放ち、センセーショナルなデビューを飾った。その後、順調に出場試合数を伸ばしていき、1987年シーズンからレギュラー格となり、主軸として活躍。

順風満帆に見えたが、1993年シーズンは故障の影響もあり成績不振に陥ってしまう。さらに巨人はそのオフに導入されるFA制度で落合博満(当時・中日)の獲得も噂されていた。そのようななか、駒田自身もFA権の行使を決断する運びとなったのである。

FA宣言後は横浜に移籍を果たし中心選手として活躍。1998年のリーグ優勝にも大きく貢献した。現役最終年度となった2000年シーズンには通算2000本安打を達成し、名球会入りも果たしている。移籍後に実力を発揮できない選手が多いなか、十分な活躍を見せたと言っていいだろう。

その他にFA権を用いて巨人から移籍した選手はいずれも生え抜きではなく、2019年シーズン終了時点で、巨人の生え抜き選手が国内球団へFA権で移籍したのはこの駒田の例しかない。

FA権の行使による海外移籍を果たしたのは松井秀喜が初

FA権を用いて国内移籍を果たしたのは駒田が初めてとなったが、MLB移籍は松井秀喜が初めてであった。海外FA権というものがなかった2002年シーズンオフにFA権を行使し、ヤンキースへと移籍を果たしたのである。国内外を問わず、巨人からFAで球団を去ったのは駒田以来2人目のことだった。

その後は、上原浩治(2008年シーズンオフ)と高橋尚成(2009年シーズンオフ)がFA権を用いてMLB移籍を果たしている。

今回、特例とはいえ山口が巨人からのポスティングシステムを用いたMLB移籍の道を切り開いた。これにより、巨人を取り巻く環境が変わる可能性は十分にある。今後、生え抜き選手からも、ポスティングシステムを利用したMLB移籍を目指す選手が現れるのだろうか。

巨人からFAで移籍した選手

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