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横浜DeNAベイスターズの優勝パレード・祝賀会エピソード

2016 9/20 12:42
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Photo by Mike Flippo/Shutterstock.com

横浜DeNAベイスターズの優勝を望むファンの方へ。ファンなら知っておきたい1960年と1998年の2度のリーグ優勝と日本シリーズ優勝を勝ち取った試合の経緯や、当時のパレード・祝賀会エピソードをご紹介したいと思います。

横浜DeNAベイスターズの過去の優勝記録と優勝パレード

横浜DeNAベイスターズ のリーグ優勝は、過去2回あります。最初が1960年の新・大洋ホエールズ時代。監督は前年まで西鉄ライオンズの監督だった三原脩でした。2度目が1998年の横浜ベイスターズ時代。監督は、この年バッテリーチーフコーチから監督に昇格したばかりの権藤博。
2度目のリーグ優勝は前回の1960年以降、実に38年ぶりの悲願。続く日本シリーズも西部ライオンズを下して日本一に輝き、地元横浜での優勝パレードにはおよそ40万人ものファンを動員し、その人気ぶりを世間に知らしめました。

前年最下位からのリーグ初優勝!歓喜の優勝パレードはオープンカー

1960年、三原脩監督の指揮のもと水原茂監督率いる巨人を下し、前年最下位からのリーグ初優勝を果たした「新・大洋ホエールズ」。日本シリーズでも毎日大映オリオンズを1点差で下して名実ともに日本一へ。
優勝パレードは、ファンの歓喜の声があふれる川崎球場から大洋漁業本社がある東京丸の内まで、オープンカーに乗って行われました。球場周辺のにぎわいぶりは六郷橋を渡るとぴたりとやんでしまい、本社の前で2度目のパレードを行った経緯があります。当時は巨人が全盛の時代、もともと山口県下関市が本拠地だったこともあり、まだ地域密着度の薄さが伺える少し寂しいエピソードです。

38年ぶりのリーグ優勝!横浜と下関のダブル優勝パレード

1998年、権藤博監督のもと、前回の1960年の優勝以来実に38年ぶりの悲願のリーグ優勝を飾ったのが、横浜ベイスターズ時代。シーズン序盤こそ成績はふるいませんでしたが、抑えの佐々木主浩らの投手陣と一度打ちはじめると止まらない「マシンガン打線」が大爆発。チームを優勝へと導きました。日本シリーズでも西武を下し、2度目の日本一に輝きました。
この時のパレードは地元の横浜と以前本拠地であった山口県下関市の2カ所で行われました。まさに「故郷に錦を飾った」凱旋優勝パレードといえますね。

キンと冷えたビールで「ビールかけ」祝賀会での珍エピソード

プロ野球では優勝祝賀会での「ビールかけ」が恒例になっていますが、通常このビールは「室温で保存したもの」をかけ合います。しかし、1998年に38年ぶり2度目のリーグ優勝を果たした横浜ベイスターズは、「冷蔵庫でキーンと冷やしたビール」をかけ合ってしまいました。
「ビールの味はどうですか?」という記者のインタビューに、頭からビールを浴びながらの阿波野秀行投手の答えは「冷えてる、これ、すごい冷えてるー!」というものでした。翌日、体調を崩す選手が続出したというのは、嘘のような本当の珍エピソードです。

圧巻!白い紙吹雪が舞う1998年の横浜40万人優勝パレード

秋晴れの空の下、約40万人のファンを動員した横浜ベイスターズの優勝パレードは、首脳陣をのせたオープンカー5台と選手をのせたオープンバスが、ゴールの横浜スタジアムまで「残すは約500メートル」というところまで来ていました。このとき、ビルのあちらこちらから無数の白い紙吹雪がまかれはじめました。
まるで季節外れの桜吹雪のように沿道を埋め尽くす紙吹雪は、選手を労うためにファンが撒いたものだったのです。その様子は、大リーグの優勝パレードにも勝るとも劣らない大熱狂ぶりでした。

まとめ

下関の大洋ホエールズ時代から、現在の横浜DeNAベイスターズまでの球団の歴史の中で、リーグ優勝は2回。日本シリーズ優勝も2回。1998年以降優勝からは遠ざかっていますが、40万人のファンは心から新生・横浜DeNAベイスターズの優勝を願っているはずです。
またあの圧巻の優勝パレードを見てみたいものです。チームの今後に期待したいですね。

以上「横浜DeNAベイスターズの優勝パレード・祝賀会エピソード」でした。