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菊池涼介は通用するか?日本人内野手のMLB移籍初年度はどうだった?

2019 11/16 17:00勝田聡
広島・菊池涼介ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

過去8人の日本人内野手がMLBへ挑戦

広島が菊池涼介のポスティング制度を利用した移籍を容認することを発表した。

菊池は2019年シーズン中に国内FA権を取得したことから国内移籍の噂もあった。しかし、国内FA権は行使せず、その上でのポスティング申請となる。またMLB球団との交渉が不調に終わっても、広島は残留を認める方針と報道されている。

菊池のMLB移籍が実現すれば、日本人内野手としては9人目となる。過去の8人も菊池同様に日本時代は輝かしい実績を誇る選手たちばかり。そんな彼らはMLB移籍初年度にどのような成績を残したのだろうか。 松井稼頭央、中村紀洋、井口資仁、岩村明憲、西岡剛、川﨑宗則、中島裕之(現・宏之)、田中賢介の移籍初年度の成績を振り返ってみたい。

井口資仁は移籍初年度にチャンピオンリングを獲得

表_日本人内野手MLB移籍1年目ⒸSPAIA

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日本人の内野手で初めてMLB移籍を果たしたのは松井稼頭央(西武→メッツ)だ。NPB時代には打率3割、30本塁打、30盗塁以上のトリプルスリーを達成するなど、走攻守揃った内野手として注目を浴びていた。当時、ヤンキースでプレーしていた松井秀喜と同じ松井姓であることから、「リトル松井」とも呼ばれ大きな期待をかけられた。

その期待に応えるかのようにデビュー戦となった開幕戦から爆発した。史上初となる、新人による開幕戦初打席初球本塁打を放つなど、3安打猛打賞。敬遠も記録する素晴らしいスタートを切った。しかし、この活躍は持続せず故障での離脱もあり、2004年のルーキーイヤーは打率.272、7本塁打、44打点の結果だった。規定打席に到達し十分な成績とも言えるが、当初の期待が高かったことから物足りなさが目立った。

翌2005年には中村紀洋が近鉄からドジャースへ、井口資仁がダイエーからホワイトソックスへと渡った。両選手ともNPB時代の実績は申し分なかったが、MLBでの成績は明暗を分けた。井口は1年目からレギュラーの座を掴み135試合に出場。チームのワールドシリーズ制覇に大きく貢献し、勲章ともいえるチャンピオンリングを手にした。一方の中村は17試合の出場に留まり、本塁打0本、安打5本に終わった。

井口と中村から2年後となる2007年には、岩村明憲がヤクルトからデビルレイズ(現レイズ)へ移籍を果たした。故障による離脱があったものの、123試合で打率.285を記録。日本人内野手の1年目としては最高打率をマークしている。

2010年以前に海を渡った日本人内野手4人中3人はNPB時代の成績には及ばないものの、戦力としてチームに貢献したと言っていいだろう。

2011年以降は全員が苦しむ

岩村から4年後の2011年、西岡剛がロッテからツインズへ移籍した。前年NPBで首位打者に輝き、脂の乗り切った時期に挑戦したにもかかわらず、MLB初年度は68試合で打率.226と結果を残せなかった。守備面でも苦しみ、併殺崩しのスライディングをうまく避けられず骨折。低迷の要因となった。

2012年の川﨑宗則(ソフトバンク→マリナーズ)は、当初マイナー契約だった。そこからはい上がって開幕をメジャーで迎え、61試合に出場した。マイナー契約スタートからもわかる通り期待値は高くなかったことを考えると大健闘とも言えるが、NPB時代の実績からすると物足りない。

2013年に移籍したのは中島裕之(西武→アスレチックス/現・宏之)と田中賢介(日本ハム→ジャイアンツ)の2人。中島はマイナーから昇格できず、メジャー出場は叶わなかった。一方の田中は移籍後、NPB時代の内野から外野手へとコンバートされた。デビュー戦でフェンス際のファインプレーを見せインパクトを残したが、15試合の出場に終わった。

このように2011年の西岡以降に海を渡った日本人内野手は、初年度に結果を残せていない。菊池はどちらかというと守備が売りの選手。移籍できても打撃面で結果を残せなければ、MLBでのプレーは叶わないだろう。果たしてどのような成績を挙げるのか。守備でMLBへの移籍が叶う、そんな道筋をつけてくれる活躍に期待したい。