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新人王は本塁打の村上か盗塁の近本か 2001年以降、野手の得票数1位・2位は4度だけ

2019 11/5 06:00勝田聡
村上宗隆と近本光司ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

村上宗隆と近本光司の争い

今年はセ・リーグの新人王争いが、大きく取り上げられている。ヤクルトの村上宗隆と阪神の近本光司である。

村上は高卒2年目にして全143試合に出場し、36本塁打を記録、主軸としてチームを引っ張った。一方の近本はルーキーながら中堅のレギュラーを獲得すると打率.271(586-159)とまずまずのアベレージを残し36盗塁で盗塁王にも輝いた。

村上は高卒2年目の長距離砲、近本は新人の俊足巧打型とタイプが違うこともあり、メディアやファンの間で議論が巻き起こっている。

新人王は投手が獲得することが多い。2001年以降では両リーグ合わせて36人の新人王がいるが、その内訳は投手が27人で野手は9人。75%が投手ということからもそれがよくわかるだろう。当然、複数の野手が新人王を争うことも少ない。

さてそこで過去の新人王争いにおいて、野手が得票数1位・2位だった例を振り返ってみたい。

2001年以降野手による新人王争いは4例

2001年以降の新人王投票において、野手が1位・2位となった例は4度ある。そこに今シーズンの村上と近本の数字を加えた表が下記である。

野手による新人王争いⒸSPAIA

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2001年は赤星憲広(阪神)と阿部慎之助(巨人)が新人王を争った。阿部は捕手というポジションでありながら、1年目から127試合に出場したことが評価されていた。しかし、規定打席に到達していなかったこと、赤星が盗塁王のタイトルを獲得したこともあり得票数では大きな差がついた。

2006年は梵英心(広島)と吉村裕基(横浜)の争いだった。大卒社会人1年目の巧打型であった梵は規定打席に到達。年間を通じて結果を残した。

一方の吉村は高卒4年目のスラッガータイプ。打率3割を超え26本塁打を放ったものの、骨折による離脱があり規定打席には到達していなかったことが響いたのか、意外にもダブルスコア以上の得票差で梵に軍配が上がっている。高卒とはいえ吉村がプロ入り4年目という部分もネックになったのかもしれない。

ちなみに新人王が制定された1950年以降で4年目の受賞者は関本四十四(巨人/1971年)と小関竜也(西武/1998年)の2人だけである。

2010年は長野久義(巨人)と堂上直倫(中日)が得票数で上位1位、2位(秋山拓巳と同数)だが、圧倒的大差となった。128試合124安打19本塁打と82試合68安打5本塁打、その他の成績でも差がついていたためそれも納得だろう。

そして直近の2017年は京田陽太(中日)と大山悠輔(阪神)が得票数を争った。京田は141試合に出場し、規定打席にも到達。内野守備の要である遊撃のポジションを1年間に渡って守りきったこともあり、大山に大差をつけた。

2年目の19歳かルーキーの24歳か

2001年以降の4例を見ると、野手の新人王争いにおいて得票数まで接戦となった例は1度もない。その要因のひとつとして、片方の選手が規定打席に到達していないことが挙げられる。短期的な活躍ではなく、年間を通じての活躍がやはり評価ポイントとして高いからだ。

今年は両選手ともに規定打席に到達しており、村上は全試合に出場。一方の近本も欠場は1試合のみ。活躍機会の多さで優劣はつけられない。

タイトルの獲得はないが19歳や高卒2年目というくくりで、本塁打や打点の記録を打ち立ててきた村上。大卒社会人の24歳(シーズン後に25歳)ではあるが、ルーキーイヤーで盗塁王を獲得しチームのCS進出に貢献した近本。

どちらを評価するのかは、投票者の価値観に委ねられることになる。はたしてどのような投票結果となるのだろうか。

※数字は2019年シーズン終了時点