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阪神が今季登板1試合の37歳・中田賢一を獲得した理由

2019 11/2 06:00楊枝秀基
阪神へ移籍した元ソフトバンクの中田賢一ⒸYoshihiro KOIKE
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ⒸYoshihiro KOIKE

通算100勝の元「阪神キラー」

頼もしい存在が阪神の一員に加わった。10月29日、ソフトバンクから無償トレードで移籍の決まっていた37歳の中田賢一が、西宮市内の球団事務所で入団会見。中日、ソフトバンクで通算100勝を挙げた右腕が大いに意気込みを語った。

中田といえば、かつての阪神にとっては分厚いカベのような存在で、「阪神キラー」の名を堂々と名乗らせてしまった時期もある。

プロ初勝利も2005年4月15日の中日-阪神戦(ナゴヤドーム)で献上、ルーキイヤーからの3年で通算2勝8敗と大きく負け越した。そんな苦手投手が味方になるとは、目に見えないプラスは計り知れない。

2軍でも手を抜かない姿勢

今季の中田は一軍での登板が1試合に終わった。だが、ウエスタン・リーグでは21試合、95回1/3に登板し6勝3敗、リーグトップの防御率3.02と活躍。

若手の台頭著しいソフトバンクにあっては出番がない形だったが「元気に1年間投げられたんで、このまま現役を退くことになると後悔が残るなと。何とか続けたいという思いで1年間投げていた」と衰えた訳ではないことを証明してみせた。

出場機会が激減しても手を抜かない。この点を阪神フロントも評価した。13年オフにはFA宣言した中田の獲得にも動いたほどの長年の“片思いの相手”だった。

リーグ優勝計6度の経験

加えて中田が数々の優勝を経験していることも大きい。落合中日時代には3度のリーグ優勝と1度の日本一を経験。FA移籍し、14年から6年間在籍したソフトバンクでは3度のリーグ優勝と5度の日本一に輝いた。この輝かしい優勝請負人ぶりは、2005年以来リーグ優勝から遠ざかっている阪神にとって頼もしい限りだ。

かつては虎を苦しめた右腕。中日時代の阪神の印象を問われると「球場全体で相手に向かっていくという印象。甲子園球場で投げる時は、1勝をもぎ取るのに、すごく苦労して投げていた」と振り返る。

これからは虎党の声が背中を押してくれる。こんなに心強いことはない。結果を残せない時にはヤジも心配だが「耳をパタンとします」と笑いを取る余裕もあった。

中日のエース背番号20

プロ15年間で数々の輝かしい結果を残した。その反面、出場できない悔しさも味わった。そんなタイミングで飛び込んだ阪神との縁。

中田は「矢野監督を胴上げするために。また、ファンのみなさんと一緒に喜べるように。そのためにしっかりと1球、1球投げ込んでいきたいと思います」と意気込む。役割としては先発を予定されており、背番号は中日のエース番号だった入団時の20となる。

注目球団への移籍には重圧も伴うが「何よりもチームでしっかりと仕事をするのが一番。しっかり自分の調整をやっていきたい」とベテランらしく、着実にチームを支えるつもりだ。