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平成6年 10・8決戦で巨人が中日破り優勝【平成スポーツハイライト】

2018 12/23 11:00SPAIA編集部
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2度の中止、順延によって巡ってきた「運命の日」

平成6年10月8日は長いプロ野球の歴史でも初めてとなる、同率首位で並んだチームが最終戦で戦った日だった。シーズン序盤からセ・リーグの首位を走っていた巨人を中日が猛追し、勝った方が優勝という史上最大の決戦。両チームの選手、関係者、日本中の野球ファンが固唾を呑んで見守った大一番を振り返る。

この年、首位・巨人が8月25日から8連敗を喫すると、逆に中日は9月18日から9連勝して猛追。9月27日にナゴヤ球場で予定されていた直接対決が台風の影響で中止となり、予備日に組み込まれた同29日も再び中止。10月8日が最終戦となった。

10月6日の129試合目(当時は130試合制)、1ゲーム差で首位の巨人が優勝の可能性もあったが、ヤクルトに敗戦。中日は阪神に勝ったため、両チームとも69勝60敗で同率首位に並び、史上初の最終決戦へ舞台装置が整った。

試合前から異様な雰囲気

10月8日、ナゴヤ球場。試合は午後6時開始だったが、始まる前から異様な雰囲気だった。球場に大挙駆け付けたマスコミ、視聴率稼ぎに鼻息の荒いテレビ局、球場外でごった返すファン、混乱を防ぐために動員された機動隊や警備員、ここが稼ぎ時とばかりうごめくダフ屋…。スタンドにはなんと愛知県出身で、この年200安打をマークして大ブレークしたイチロー(当時オリックス)も観戦に駆け付けた。

当然ながらこの一戦にかける両軍の意気込みも相当なものだった。巨人のスタメンは3番に2年目の松井、4番がFA移籍1年目の落合、5番が今オフ監督に復帰した原。先発マウンドを任されたのは、この年5月に完全試合を達成した槇原だった。

中日のスタメンは3番が後に名球会入りを果たす立浪、4番がこの年、本塁打と打点の2冠王に輝いた大豊、5番がこの年の首位打者・パウエル。先発は「巨人キラー」と呼ばれた今中だった。

試合は2回に巨人が落合の15号ソロで先制。中日はその裏すぐに追いついたが、3回には巨人・松井が生涯でも数少ない送りバントを決めてチャンス拡大し、落合のタイムリーで勝ち越した。5回には松井が20号ソロを放つなど小刻みに加点し、リードを広げた。

巨人は槇原の後、2番手が斎藤、7回からは3番手に桑田と、「先発三本柱」を惜しみなく投入。“強竜打線”を封じ込め6-3で最終回を迎えた。9回裏2死、桑田が小森を空振り三振させるとマウンド上でガッツポーズして飛び跳ねた。午後9時22分、「国民的行事」と形容した一戦を制した長嶋監督が宙に舞った。

テレビ中継は驚異的視聴率

この試合はフジテレビ系列で生中継されたが、関東地区ではプロ野球中継史上最高の48.8%、瞬間最高はなんと67%を記録した。

巨人は日本シリーズでも西武を4勝2敗で破って日本一。中日の高木守道監督はこの年限りでの退任が決まっていたが、10・8決戦を受けて急転留任が決まった。