明治神宮大会東北地区代表決定戦1回戦で敗退
「勝たせることが出来なくて…」
何度もその言葉を口にした。
2018年10月28日、福島県郡山市のヨーク開成山スタジアム。
先のドラフト会議で巨人からドラフト1位で指名された八戸学院大学の高橋優貴は、明治神宮野球大会東北地区代表決定戦1回戦の東日本国際大学戦で敗れると、そう言って悔悟を噛みしめた。
「今日はチームを勝たせられなかったことが全てで、まだまだ自分の弱いところも実感しましたし、一緒に戦ってきたチームのみんなには本当に申し訳なかったと思っています」
1点リードで迎えた2回裏の守備。犠打を阻止しようと思い切って二塁に送球したがこれが悪送球になりピンチを広げた。
なかなか波に乗っていけない3回には、2本のヒットと四球を出し再び窮地を迎えると、東日本国際大の6番・磯邉伶也にライトへ犠飛を打たれ失点。逆転を許し5回でマウンドを降りた。
「(調子自体は)そんなに良くはなかったんですけど、その中でもエースという立場で、八戸学院大学のエースとして、マウンドに立っているわけですから、そんな言い訳などせずに、とにかく勝たせられなかったことが本当に悔しくて…。だから調子がどうこうではなく、勝たせられなかったことが一番なんです」と、自身に厳しい評価を下した。
それでも要所、要所で彼の非凡な才能を感じることが出来るピッチングだった。
3回裏、逆転を許しなお二死二、三塁の窮地だったが、東日本国際大の1年生・7番金子翔大から三振を奪うと、4回、5回と、ともに2つの三振を奪い、5回で計7つの三振を奪った。ここという場面で三振を奪えるのは彼の能力の証だ。
リーグ新記録の301奪三振
大学1年の春からリーグ戦で起用され、4年秋までの8季で50試合に登板した。
奪った三振の数はリーグ歴代最多の301個。埼玉西武の多和田真三郎が富士大学時代に作った記録(299個)を2つ上回った。
しかし、所属する北東北大学野球連盟ではここ5年、10季連続でライバルの富士大学にリーグ優勝を奪われており、そのうち8季を高橋自身も味わった。
「本当に負けた試合が多かったですし、1年生のときから主力として投げさせてもらって、先輩にも申し訳ないという気持ちの方が大きくて…」
下級生時から主戦を任された彼だからこそ、その責任を人一倍感じていたのだ。
1年春に2勝、秋に4勝、2年春にも3勝を挙げ、早くから頭角を現した。
しかし、ここ一番の試合では勝利することが出来ず、自身の投球スタイルに疑念を抱くほど悩んだ。
高校時代から研究を重ねてきたスクリューボールも2年春に完成し投球の幅を広げたが、2年秋には防御率6.00、勝ち数も1に終わり、苦難の日々が続いた。
そんな高橋を見かねて正村公弘監督はトレーナーを交えて話し合いを持った。
そこで浮かんできたもの。それは〝原点回帰″。
最速150キロを超えるストレートを中心とした投球スタイルに戻し、立て直しを図った。
それでも、リーグ優勝の壁、そして全国の道は遠かった。
高橋は言う。
「でも、踏ん張ってここまでやって来られたので、それは自分だけではないですけど、本当にいろんな人が自分を支えてくれて、ここまで大きくしてくれたんだと思っているので…。でも、まだまだ弱い部分が沢山あるし、もっともっと人の期待に応えられるように、これからも頑張っていきたいと思っています」
感謝の意を胸に、彼は再び前を向いた。
巨人の「12」をエースナンバーに
11月9日には八戸市内のホテルで巨人と仮契約を結んで会見を開き、背番号も12に決まった。
近年は野手がつけることが多かった背番号だが、これをエース番号にすると意気込んだ。
高橋は大学野球で過ごした4年間をこう振り返る。
「先輩、同級生、後輩がいる中で投げさせてもらって、本当に助けられたことの方が多い(大学)4年間でした。そういう先輩、同級生、後輩たちの悔しい想い、それを背負って次のステージで自分が活躍すればみんなも喜んでくれると思いますし、この悔しさを絶対に忘れないで、明日からでも準備していきたいと思います」と、新たな決意を示した。
甘いマスクで、周囲に気配りも出来る性格だからこれからますます注目度は上がっていくだろう。
球場に行く朝のタクシーで、行き先を告げると初老の運転手がこんな言葉をかけてきた。
「巨人の1位指名の高橋優貴、今日投げるんでしょ?見に行きたかったなあ…」
世間の関心は早くも上々。さすが全国区の巨人。
誰もが知っている国内屈指の左腕へ。22歳の誕生日を迎える2月1日、高橋優貴が新たな一歩を踏み出す。