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ヤクルトの柱は低迷した年に生まれる?ドラフト2017年組にかかる期待

2018 10/18 11:00勝田聡
東京ヤクルトスワローズ,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

今シーズン躍進した要因のひとつである「新人の働き」

96敗、借金51と2017年シーズンのヤクルトは散々だった。しかし、今シーズンは小川淳司監督が執念の采配を見せ、2位でフィニッシュ。優勝した2015年以来、3年ぶりにクライマックスシリーズ進出を果たした。

3度目のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁以上)を達成した山田哲人に打点王を獲得したウラディミール・バレンティン、メジャーから復帰した青木宣親、慣れない一塁守備をこなしつつ打率3割を超えた坂口智隆など、野手陣の功績は数え切れない。

もちろん投手陣も頑張った。チーム唯一の規定投球回と2桁勝利を達成したデービッド・ブキャナン、守護神の石山泰稚、セットアッパーの近藤一樹、後半戦に覚醒した原樹理とこちらも立役者の名前を挙げればきりがない。

小川監督をはじめ宮本慎也ヘッドコーチ、石井琢朗、河田雄祐両コーチといった首脳陣の存在も大きかったはず。このように様々な要素が絡みあい、チームは上昇気流に乗ったと言える。

これに加えて、惨敗に終わった昨シーズン直後のドラフト会議で指名したルーキーたちも、チームに大きく貢献した。

ドラフト2位・大下佑馬が結果を残す

2017年ドラフト指名選手

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今シーズンのルーキーでもっとも結果を残したのは大下佑馬だ。先発、中継ぎと役割が変わりながらも25試合で2勝1敗5ホールド、防御率3.09と安定した投球を見せた。

大下は勝ちパターンの投手ではないため複数イニングを任されることも多く、先発が崩れそうになると、試合の序盤でもブルペンで肩をつくるのがあたりまえだった。1日に何度も肩を作り、登板数の数倍はブルペンで準備してきた。その中での好結果は、チームへの貢献になったことはもちろん、自身にとっても大きな経験となったはずだ。

野手陣では、宮本丈が存在感を発揮した。その象徴となったのが9月12日の巨人戦だ。0対1と1点ビハインドの9回表1死満塁の場面、代打で登場した宮本丈は値千金の同点犠飛を放った。勝利には結びつかなかったが、土壇場での底力を垣間見せてくれた。

また、ドラフト1位の村上宗隆は高卒ルーキーということもあり、シーズン通しての活躍とはいかなかったが、終盤に一軍昇格を果たすとその潜在能力の高さを示した。デビュー戦となった9月16日の広島戦で、初打席初本塁打の快挙を成し遂げたのだ。一軍での安打はこの1本に終わっているが、来シーズン以降の飛躍を期待させてくれる結果だった。

そのほかにも、塩見泰隆や松本直樹が一軍デビューを果たしている。

惨敗の年のドラフト選手が「ミスタースワローズ」へ

ヤクルトの歴史を振り返ると、歴史的惨敗となったのは2017年だけではない。今から48年前の1970年も苦しいシーズンだった。負け数こそ「92」と2017年より少ないが、勝率は.264と球団史上唯一3割を切った年で、首位とのゲーム差も球団史上ワーストとなる45.5ゲーム差であった。

しかし、この年のドラフト会議では若松勉(3位)、杉浦亨(10位)といった後のチームの中心となる選手たちを指名している。

1970年ドラフト指名選手

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若松はヤクルト一筋で首位打者を2度獲得し、通算打率.319、2173安打とミスタースワローズとして活躍。監督就任後は2001年に日本一となり、ヤクルトを語る上で欠かせない人物とも言える。

杉浦は打撃タイトルこそないが、若松同様にヤクルト一筋で通算1434安打を記録。さらに1992年の日本シリーズでは、シリーズ史上初の「代打満塁サヨナラ本塁打」を放っており、多くのファンの記憶に残る存在となった。

野村克也監督が就任した1990年もそうだ。順位は5位だったが、首位とは1970年以来となる「30」ゲーム差をつけられ、10年連続Bクラスとなった。だが、この年のドラフトでは岡林洋一(1位)、高津臣吾(3位)を指名。1990年代の黄金時代を築くには欠かせなかったふたりがチームに加わった。

1990年ドラフト指名選手

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2度あることは3度ある。歴史的惨敗の年にドラフトで入団してきた選手が後のチームを支える、そんなストーリーを2017年ドラフト組にも期待したい。もしかしたら、近い将来の「ミスタースワローズ」かもしれない。