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巨人・杉内が引退 残り5名となったダイエー戦士たち

2018 9/12 12:45勝田聡
福岡ダイエーホークス,杉内俊哉,和田毅,寺原隼人,山崎勝己,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

甲子園、プロでノーヒットノーラン達成

「松坂世代」の左腕エース・杉内俊哉(巨人)の引退が発表された。最後の一軍登板は2015年7月21日の阪神戦。その後は右股関節痛に苦しみ、リハビリを重ねてきた。2016年、2017年にはファームでの登板ができるほどにまで回復。一軍復帰まであとわずか、というところまで迫っていたが、今度は左肩痛を発症。今シーズンはファームでも登板できず、引退を決意した。

杉内は鹿児島実業時代に夏の甲子園に2度出場。3年夏の大会では八戸工大一高戦で11年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、一躍その名は全国に知れ渡った。続く横浜高戦では松坂大輔(現・中日)と対戦するも、力及ばず敗戦。甲子園を後にした。

その後、社会人野球の三菱重工長崎を経て、2001年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスへと入団。2年目(2003年)には2桁勝利をマークし、4年目(2005年)には18勝、防御率2.11で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。MVP、沢村賞も受賞し、球界を代表する投手へと成長していく。

2011年オフにFA権を行使し、巨人へと移籍し3年連続2桁勝利と背番号「18」に恥じない成績を残している。2012年5月にはノーヒットノーランを達成。甲子園とプロ野球双方でノーヒットノーランを成し遂げた最初の存在となった。

国際大会では2006年、2009年、2013年と3度のワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)、2008年の北京五輪とプロ入り後に4度日の丸をつけ戦ってきた。特に2009年のWBCでは中継ぎとして5試合に登板し6.1回を無失点と優勝に大きく貢献している。

功績を振り返ると、杉内はセ・パ両リーグ、そして国際試合でも活躍してきたことがよくわかる。

ダイエー戦士たちの今シーズン

杉内のプロ野球キャリアはダイエーから始まっているが、ダイエー戦士も残り少なくなってきた。1988年から2004年(※)のドラフトで指名された選手のうち、今シーズンNPBで現役なのは杉内を含め、わずか6名しか残っていない。

福岡ダイエーホークス,杉内俊哉,和田毅,寺原隼人,山崎勝己,ⒸSPAIA

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2004年が最後のドラフトということもあり、現役選手はベテランの域に達している。そのなかで今シーズン最も試合に出場しているのは山崎勝己(オリックス)だ。レギュラー定着とまではいかないが、ベテランらしく2番手・3番手捕手として78試合に出場。2014年にオリックスへ移籍してから、最多の出場数(2015年/79試合)を更新しそうな勢いだ。

明石健志、城所龍磨の2人はダイエーに入団してから、移籍することなく所属しつづけている。明石は規定打席到達が1度、城所に関しては規定到達が1度もない。これだけの期間をサブとしてチームに貢献してきた。

メジャーリーグ移籍から2016年に復帰した和田は、その初年度に最多勝を獲得する活躍を見せたが、今シーズンは故障の影響で一軍登板は未だ「0」で、リハビリに励んでいる。球速はなくとも、キレと変化球で勝負する和田の投球術を一軍で見る日が待ち遠しい。

杉内と同期入団にあたる寺原隼人は中継ぎとして17試合に登板。勝ちパターンではないが、防御率2.29と結果を残しておりチームに欠かせない戦力となっている。

残り少なくなったダイエー戦士の中で、最後までプレーするのは誰になるだろうか。現役生活の最後にもう一花咲かせてくれることを期待したい。

※ 2004年ドラフト会議には福岡ダイエーホークスとして参加したが、ドラフト終了後に福岡ソフトバンクホークスへと身売りしため、2004年指名選手を今回除外した。