甲子園、プロでノーヒットノーラン達成
「松坂世代」の左腕エース・杉内俊哉(巨人)の引退が発表された。最後の一軍登板は2015年7月21日の阪神戦。その後は右股関節痛に苦しみ、リハビリを重ねてきた。2016年、2017年にはファームでの登板ができるほどにまで回復。一軍復帰まであとわずか、というところまで迫っていたが、今度は左肩痛を発症。今シーズンはファームでも登板できず、引退を決意した。
杉内は鹿児島実業時代に夏の甲子園に2度出場。3年夏の大会では八戸工大一高戦で11年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、一躍その名は全国に知れ渡った。続く横浜高戦では松坂大輔(現・中日)と対戦するも、力及ばず敗戦。甲子園を後にした。
その後、社会人野球の三菱重工長崎を経て、2001年ドラフト3位で福岡ダイエーホークスへと入団。2年目(2003年)には2桁勝利をマークし、4年目(2005年)には18勝、防御率2.11で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。MVP、沢村賞も受賞し、球界を代表する投手へと成長していく。
2011年オフにFA権を行使し、巨人へと移籍し3年連続2桁勝利と背番号「18」に恥じない成績を残している。2012年5月にはノーヒットノーランを達成。甲子園とプロ野球双方でノーヒットノーランを成し遂げた最初の存在となった。
国際大会では2006年、2009年、2013年と3度のワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)、2008年の北京五輪とプロ入り後に4度日の丸をつけ戦ってきた。特に2009年のWBCでは中継ぎとして5試合に登板し6.1回を無失点と優勝に大きく貢献している。
功績を振り返ると、杉内はセ・パ両リーグ、そして国際試合でも活躍してきたことがよくわかる。