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カープ新井引退でまた1人……「旧広島市民球場戦士」が残り8名に

2018 9/9 11:00青木スラッガー
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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旧市民球場で育った新井が引退

広島の新井貴浩が、今シーズン限りでの現役引退を発表した。またひとり、旧広島市民球場時代を知るカープ戦士がユニフォームを脱ぐ。

広島がマツダスタジアムへ本拠地を移してから、今年でちょうど10年目。球団発足からほどなく、1957年に開場した旧市民球場は、2012年に解体が完了した。現在は、ライトスタンドの一部だけが跡地に残る。広島の本拠地として使用されたのは2008年までだ。つい最近のことのようにも思えるが、気が付けば当時の選手は球界に残り少なくなってきている。

昨シーズンオフはかつての正遊撃手・梵英心が退団して社会人野球に転身した。2016年はかつてのエース黒田博樹と、女房役の倉義和が引退。楽天に移籍していたかつての主砲・栗原健太もこの年でユニフォームを脱いだ。2015年は現コーチの東出輝裕、2013年はレジェンドの前田智徳が引退している。

現広島で旧市民球場公式戦を経験しているのは永川、石原、松山など

現役選手でマツダスタジアム移転前に入団している選手は、新井を除いて10名。その中で旧市民球場最終年の2008年までに、一軍の公式戦経験があるのは6名を残すのみとなった。

若返りが著しい投手陣では、旧市民球場時代のクローザー永川勝浩1人だけ。プロ入りの2003年から2008年までに127セーブを挙げた。マツダスタジアム2年目からは故障に苦しむシーズンが多く、昨シーズンも登板なしだったが、今シーズンは復活し19登板を果たしている。

捕手は2002年入団の石原慶幸。旧市民球場時代は倉と併用のシーズンが多かったが、最後の2008年は正捕手として活躍した。現在もジョンソンの登板試合を中心にスタメンマスクを被り、正捕手・會澤翼のサポート役として欠かせない戦力だ。

内野手では旧市民球場最終年に入団した小窪哲也。ルーキー年から98試合に出場し、打率270・3本塁打の成績を残した。今シーズンは7月半ばに登録抹消されたが、8月28日に再昇格。同日の巨人戦でタイムリーを放った。

外野手は天谷宗一郎、赤松真人、松山竜平の3名。天谷は2002年入団から数年間なかなか芽が出ず、初めてシーズンを通して一軍で活躍したのが旧市民球場最終年だった。同年、阪神へFA移籍した新井の人的補償で、赤松が広島入り。2人で中堅手のレギュラーを争った。赤松は2016年オフに発覚した胃がんの治療を乗り越え、今シーズンは二軍で公式戦復帰を果たしている。

主軸打者として現在のチームを引っ張る松山は、旧市民球場最終年に入団。4月の市民球場ヤクルト戦で初出場し、ルーキー年は2試合、2打席の出場で無安打だった。

大竹、前田健を含め「旧市民球場戦士」は残り8名に

他球団では、巨人の大竹寛、ドジャースの前田健太が、広島のユニフォームを着て旧市民球場でのプレーを経験している。

2002年に広島入りし、長く先発ローテーションの柱として活躍した大竹は、2014年からFAで巨人に移籍。前田は2006年広島入団。2008年に9勝を挙げて頭角を現し、旧市民球場最終戦となった9月28日ヤクルト戦は先発のマウンドを務めた。マツダスタジアム移転後は2016年に渡米するまで、エースとしてチームを支えた。

このまま誰も引退しなければ、大竹と前田を合わせて、来シーズンの旧市民球場戦士は残り8名となる。ボロボロの球場で、ピンストライプのユニフォームをまとって戦ったカープ戦士が、どんどん少なくなっていく。万年Bクラスだったあの頃を知るファンにとっては、寂しい限りだ。