坂口と雄平 2002年ドラフト1位のふたり
熱戦が続く第100回全国高校野球選手権大会では、多くの好投手が全国デビューしている。金足農の吉田輝星を筆頭に150キロ超の速球を投げる選手が4人も出現しており、将来プロ野球のマウンドで投げる姿が待ち遠しい。
しかし、高校時代に投手として甲子園に出場したが、プロ入り後に野手へ転向した選手は少なくない。
現役選手だとイチロー(マリナーズ会長付特別補佐)は愛工大名電高時代に背番号「1」の投手として春の選抜高等学校野球大会(以下、センバツ)に出場していたことが有名だ。
その他にも現ヤクルトの坂口智隆(神戸国際大付高→近鉄)は2年生ながら背番号「1」をつけ甲子園で登板を果たしている。
坂口と同学年である雄平(ヤクルト)も高校時代に投手だったことは有名だろう。東北高時代には2年生エースとして2001年センバツに出場。2002年のプロ入り後も2009年までは投手としてプレーしていた。しかし、大きな結果を残すことはできずに野手へと転向。今では外野のレギュラーとなるまでに成長した。
2002年のドラフト会議で雄平(当時、高井雄平)は近鉄とヤクルトの2球団に指名され、抽選の後にヤクルトへ入団。近鉄がハズレ1位として指名したのが坂口だった。そのふたりが10数年の時を経て、同じチームでプレーしているのは感慨深い。
今宮と堂林 2009年の甲子園を沸かせたふたり
2009年ドラフト入団組にも甲子園を沸かせた元投手がふたりいる。堂林翔太(広島)、今宮健太(ソフトバンク)だ。中京大中京でエース兼4番として活躍した堂林は、夏の全国高校野球選手権大会(以下、夏の甲子園)でチームを優勝に導いている。しかし、日本文理高との決勝戦では打ち込まれ優勝投手にはなることができなかった。
また、明豊の今宮は背番号「6」をつけながら投手としても活躍。それこそ今大会における根尾昂(大阪桐蔭高)のような存在だった。菊池雄星(西武)擁する花巻東高との一戦では154キロをマークし、大きな注目を浴びていた。
堂林、今宮ともに同年のドラフト会議で1位指名を受け広島、ソフトバンクへそれぞれ入団。投手としてではなく野手としてここまでプレーしている。
松井稼頭央と鳥谷敬 ベテランふたりも高校時代は投手だった
日本人初の内野手としてメジャーリーガーになった松井稼頭央(西武)もPL学園高時代は投手だった。3年時に甲子園出場はないものの、2年春のセンバツでは背番号「1」をつけマウンドに登っている。1993年のドラフト3位で西武から指名されプロ入り。その後は野手に専念しており、投手としての出場機会はない。
昨シーズン、2000本安打を達成した鳥谷敬(阪神)も聖望学園高時代に背番号「6」ながら甲子園で登板を果たしている。早稲田大に進学後は遊撃手としてプレーし、プロ入り後も遊撃、二塁、三塁と内野手としてプレーしている。
高校時代は投手として甲子園に出場しながら、プロ入り後に野手として実績を残している選手は多い。今大会でエースとして出場した選手も、将来は野手として活躍しているかもしれない。