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28歳日本ハム大田が覚醒 過去の「大器晩成型スラッガー」は誰が居た?

2018 6/20 11:00青木スラッガー
大田泰示,ⒸYoshihiro KOIKE
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ⒸYoshihiro KOIKE

大田泰示「未完の大器」がいよいよ本格化

移籍2年目の日本ハム・大田泰示が、ブレイクを果たした2017年シーズンから更なる成長を遂げている。広い札幌ドームの上段まで飛ばす怪力が売りの大田だが、今季は序盤から2番の打順に定着。バントをしない「恐怖の2番」として、日本ハムではかつての小笠原道大を彷彿させる活躍ぶりだ。

大田は、球界で「遅咲き」の部類に入るプレーヤーだ。名門東海大相模で高校通算65本塁打を放ち、松井秀喜の「55番」を受け継ぐ華々しいプロ入りを飾ったが、プロ8年間で通算9本塁打。なかなかレギュラーに定着できず、しかし潜在能力の高さは誰もが知るところゆえに、いつしか「未完の大器」と呼ばれるようになっていたのが巨人時代だった。

日本ハムへのトレード移籍後は才能を開花させ、いきなり15本塁打を放って自身初の2桁本塁打を達成。28歳の今季は6月18日終了時点で12本塁打を放っており、30本塁打の大台も狙えそうな勢いだ。未完と呼ばれた大器が、いよいよ本格化しつつある。

長距離砲は「育成に時間がかかる」「長い目で見守らないといけない」などとよくいわれる。長い下積み期間を経て、急激な上昇カーブを描いている大田の成長曲線を見ると「その通りだ」と納得させられる。大田のようにプロ10年目あたりでブレイクしたスラッガーには、他にどんな選手がいるだろうか?

現役では雄平など「大器晩成型スラッガー」の系譜

現役選手では、中日・福田永将、ヤクルト・畠山和洋、雄平といったところが大器晩成型スラッガーの系譜になるだろう。3名とも現在チームで主軸の一角を担う選手だ。

福田は10年目(2016年)に10本塁打をマークし、2017年は18本塁打。プロ入り9年間は通算10本塁打と、大田と似た成長曲線を描いている。8年目に規定打席到達した畠山も、2桁本塁打を達成したのは10年目(2010年)。この年14本塁打を放ち、打点王を獲得する2015年まで2桁本塁打を継続した。

プロ入り当初は投手としてプレーしていた雄平は8年目の野手転向を経て、12年目(2014年)に23本塁打を放っている。2015年は畠山と4番5番を務め、バレンティン不在の中「遅咲きコンビ」でヤクルト打線をけん引。チームをリーグ優勝に導いた。

「赤ゴジラ」嶋重宣は10年目でいきなり32本塁打

近年活躍したOB選手では、東海大相模高で大田の先輩にあたる森野将彦もスラッガーとしては遅咲きだった。森野は6年目ごろから頭角を現していたものの、三塁でポジションを争うミスタードラゴンズ・立浪和義の壁が高かった。立浪氏から三塁レギュラーを奪取した10年目に2桁本塁打を達成している。

5年目に投手から野手へ転向し、広島時代の10年目にその才能が開花した嶋重宣は、ブレイク時のインパクトが強烈だった。前年まで通算3本塁打ながら、いきなり32本塁打を放ち、打率.337で首位打者も獲得。この年から背番号を「55番」に変更したことから「赤ゴジラ」のニックネームでファンに親しまれた。

嶋と同期の多村仁志も、遅い年齢のブレイクから一気に球界を代表する大砲に駆け上がった選手だ。横浜時代の9年目に18本塁打を放つと、翌年は40本塁打。2006年の第1回WBCではクリーンナップを務め、チーム最多の大会3本塁打を打って世界一に大貢献している。

通算403本塁打の山﨑武司も2桁本塁打達成は10年目

通算記録の上位陣では、通算403本塁打の山﨑武司がかなりの遅咲きだ。山﨑の2桁本塁打達成は中日時代の9年目。それまで8年間は通算11本塁打と、下積み生活の長さは大田と変わらない。しかし10年目には本塁打王を獲得。楽天時代の39歳に再び本塁打王に返り咲き、40代からも本塁打を量産した。

ここまで挙げたのはすべて大田と同じ高卒プロ入りの選手。社会人出身では和田一浩、落合博満という遅咲き2000安打プレーヤーの存在もある。和田は西武時代5年目の29歳、落合はロッテ時代2年目の27歳に2桁本塁打を達成。そこから和田は2050安打・319本塁打、落合は2371安打・510本塁打という偉大な通算成績を残した。

芽が出るまで8年かかった大田だが、同じくらいの年齢から一流の実績を残したスラッガーはざっと振り返るだけでもこれだけいる。大田が今見せている力は、スラッガーとして完成形なのか、それとも秘めた可能性の片鱗に過ぎないのか。これから30代に向かう大田が、どんな成長曲線を描いていくのか注目したい。