プロ野球ドラフト会議におけるプロ志望届とは?|【SPAIA】スパイア

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プロ野球ドラフト会議におけるプロ志望届とは?


プロ志望届とはどのようなものか?

毎年、日本シリーズ直前に行われるプロ野球ドラフト会議。夏の甲子園が終わると注目選手の話題がスポーツ紙などを賑わせ、シーズンとはまた別の楽しみをファンに提供してくれる。
未来のスター候補生がプロ入りするためには、メジャーリーグ経由など一部の例外を除いて、ドラフト会議で指名を受けなくてはならない。
そのために、多くの野球ファンはドラフト会議に関心を持っているのだ。

そのドラフト会議の話題の中で出てくる言葉に「プロ志望届」というものがある。ここで「プロ志望届」について説明をしたい。

これは文字通りプロ志望の選手が提出する届け出のことだ。正式名称を「プロ野球志望届」という。

高校生、大学生がプロ野球入りを目指す場合、日本高等学校野球連盟、全日本大学野球連盟にそれぞれ、この届け出を提出することが義務づけられている。NPBだけでなく四国アイランドリーグplus、ベースボール・チャレンジ・リーグ入りを目指す場合も同様だ。

この届け出を提出することで、初めてドラフト指名を受ける権利を得ることになる。現在の提出期限はドラフト会議2週間前となっており、2017年の場合は10月12日だった。

プロ入りを希望する選手は所属する学校を通じて届け出を作成し、それぞれの管轄連盟に提出。各連盟が受理することで氏名が公表される。
届け出提出者は日々更新され、各連盟のホームページなどで確認をとることが可能だ。2017年は高校生106人、大学生104人と合計210人が提出している。

プロ志望届の提出者数は?

高校生の届け出提出が義務づけられたのは2004年、大学生は2007年だ。以降の提出者推移は下記の通り。

2004年:高校77人
2005年:高校112人
2006年:高校103人
2007年:高校106人、大学101人
2008年:高校94人、大学112人
2009年:高校113人、大学104人
2010年:高校95人、大学98人
2011年:高校87人、大学77人
2012年:高校95人、大学85人
2013年:高校71人、大学56人
2014年:高校94人、大学71人
2015年:高校78人、大学81人
2016年:高校105人、大学111人
2017年:高校106人、大学104人

もっとも、提出者数が少なかったのは2013年の合計127人だ。しかし、それ以外の年度は150人以上がプロ野球を目指し届け出を提出している。また、過去最多は2009年の217人である。

毎年、150人から200人もの選手が提出するこの「プロ野球志望届け」が義務づけられたのには、もちろん理由がある。この届出制度がなかった時代に大学進学、社会人希望ながらプロ球団が強行指名を行いトラブルが多発したからだ。

熊谷組入りを発表も一転西武入りとなった工藤公康選手

1981年のドラフト会議において注目を浴びていたのは「愛知県三羽烏」。大府高校の槙原寛己選手、愛知高校の浜田一夫選手そして名古屋電気高校(現・愛工大名電)の工藤公康選手だ。
ドラフト前に工藤選手は熊谷組への就職を発表しており、プロ入りの可能性はなく、各球団が指名を回避するとみられていた。

ドラフトでは槇原選手が巨人1位、浜田選手が中日2位で指名されたものの工藤選手はどこの球団も手を挙げなかった。しかし、ドラフトの終盤に西武ライオンズが6位で工藤選手を指名する。

明確にプロ入りを拒否していた工藤選手だが、『球界の寝業師』とも呼ばれていた根本陸夫氏が入団へとこぎ着けた。プロ入りを拒否していたものの工藤選手が心変わりし入団に至った経緯は諸説ある。
これにより熊谷組は激怒したものの、最終的に怒りの矛先は納められた。一連の流れは根本氏の『根本マジック』とも呼ばれている。

早稲田大学進学志望から一転巨人入りした桑田真澄選手

『KKコンビ』として、甲子園で大旋風を巻き起こしたPL学園高校の清原和博選手、桑田真澄選手。ふたりは高校3年生となった1985年夏の甲子園で優勝を果たしドラフトの目玉となった。
ドラフト前、清原選手は巨人、阪神志望とされ、希望球団以外なら社会人野球を選択し、一方の桑田選手は早稲田大学へ進学希望と報道されていた。

しかし、巨人は清原選手ではなく桑田選手を1位指名。清原選手は阪神タイガースを含む6球団競合指名の末に西武ライオンズが交渉権を獲得。意中の球団が交渉権を獲得できなかったこともあり、涙を流す清原選手の姿がテレビで報道されている。

桑田選手は早稲田大学進学を取りやめ巨人に入団。このできごとがあり、PL学園高校から早稲田大学を含む東京六大学の選手が進学することは減ってしまう。それほどまでに、大きいできごとだったのだ。
その後『松坂世代』でもあり、1998年夏の甲子園で横浜高校と死闘を演じた上重聡選手が立教大学へと入学している。しかし、PL学園出身者の六大学入りは桑田選手の騒動以降大きく減ってしまった事実は変わらない。

大学進学から一転プロへ!城島選手

工藤選手、桑田選手と同じくプロ入りをしないと表明していながら、一転プロ入りを果たした選手がいる。別府大学附属高校(現・明豊高校)から1994年ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)へと入団した城島健司選手だ。

高校時代の城島選手は甲子園出場こそ無かったものの、通算70本塁打を放っており『打てる捕手』としての期待が高い選手だった。本人も読売ジャイアンツ、西武ライオンズ、ダイエーを希望していたとされている。しかし、大学進学後にプロ入りを目指す意思を固め、駒澤大学への推薦入学が決まっていた。

このような状況の中、ダイエーはドラフト1位で城島選手を指名すると公言。その言葉通り強行指名を行った。プロ野球コミッショナーはダイエーに警告していたにもかかわらずだ。
結果的に城島選手は駒澤大学へと入学せず、ダイエー入りを決め球史に残る捕手として実績を残している。

このドラフトでは3位で駒澤大学の本間満選手をダイエーは指名。当時は城島選手が進学予定だった駒澤大学に気を遣っての指名とも言われていた。
しかし、結果として本間選手は2009年まで在籍し城島選手(2005年まで在籍)よりも長くチームに在籍することになった。また、このときのダイエーは根本陸夫氏が責任者を務めていたことから『根本マジック』と言われている。

このようなできごとが起こるとアマチュア、プロの間で摩擦が起きてしまうということから『プロ野球志望届け』の制度が設けられるようになったのだ。

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