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【1970年代前半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 11/10 12:24cut
baseball player
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Photo by mTaira/Shutterstock.com

1970年:ヤクルトの指名が光る!

1970年のドラフト会議は島本講平選手(箕島高)、湯口敏彦選手(岐阜短大付属高)、佐伯和司選手(広陵高)が『高校三羽烏』として注目を浴びていた。
島本選手は南海ホークス、湯口選手は読売ジャイアンツ、佐伯選手は広島東洋カープからそれぞれ1位指名を受け入団。佐伯選手は通算302試合に登板し、1975年の初優勝時に15勝をあげる活躍を見せるなど一定の成績を残した。

しかし、湯口選手は入団2年目となる1972年のオフシーズンに心臓麻痺で死亡。様々な憶測を呼ぶ事態となっている。

この年のドラフトではヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の指名が光る。シーズン最下位に沈んだヤクルトは3位で後の『ミスタースワローズ』である若松勉選手を指名。8位で会田照夫選手、10位で杉浦亨選手を獲得するなど大きな補強となった。

下位指名から活躍を果たした会田選手は先発中継ぎとして活躍。後に三男の会田有志選手が読売ジャイアンツでプレーし、父子プレーヤーとなった。会田選手親子はともに一軍で白星をマークし、史上初めてとなる親子が一軍勝利を達成している。

杉浦選手は1978年の初優勝だけでなく、1992年の日本シリーズでもシリーズ史上初となる『代打逆転満塁本塁打』を放ったことで名を残した。

1971年:小林繁選手が6位で巨人に入団

1971年のドラフト会議では上位指名で佐々木恭介選手、梨田昌崇選手が近鉄バファローズの上位指名を受け入団。両選手ともに現役引退後、監督に転じている人物だ。また、この年の指名では尾崎健夫選手がヤクルトアトムズから3位指名を受けている。
尾崎選手は現在『ジェット』の愛称で親しまれているプロゴルファーだ。尾崎選手は入団を拒否し、ゴルファーに転身し結果を残すことになる。

下位指名からブレイクを果たしたのは、巨人から6位指名を受けた小林繁選手だろう。
翌年のシーズン後に入団を果たした小林選手は、1976年から3年連続で2桁勝利を達成。1977年には沢村賞を受賞し、エース格へと成長する。
しかし、1978年オフに江川卓選手とのトレードによって阪神タイガースへと放出されてしまう。このトレードに反骨心が芽生えたその年の小林選手は、キャリアハイとなる22勝をあげ最多勝に輝く活躍。自身2度目の沢村賞を受賞した。以降も阪神で1983年までプレーし通算で139勝をマークしている。
現役引退後はコーチとして活躍するも、在任期間中の2010年に突然の死を遂げ球界関係者に衝撃を与えた。2007年には江川選手とCMで共演し、トレードの一件について和解をしている。

前年に引き続き、この年もヤクルトは下位指名から有力選手を獲得した。それはドラフト6位の安田猛選手だ。
安田選手は1年目からリーグ最多の50試合に登板し7勝をマーク、防御率2.08で最優秀防御率のタイトルを獲得した。翌1973年も同様にリーグ最多の53試合に登板、防御率2.02をマークし入団から2年連続となる最優秀防御率に輝いている。
また、1975年からは4年連続2桁勝利を達成するなど1978年のリーグ優勝に大きく貢献した。

この当時のヤクルトは下位指名からブレイクする選手が多く、スカウティングの良さが光っていたと言えるだろう。

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