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【1980年代前半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 10/13 10:05cut
野球ボール,グローブ,バット
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1984年:福良監督も入団時は6位指名!

ロサンゼルス・オリンピックで金メダルを獲得した際の中心メンバーであった広沢克己選手、日米大学野球で活躍した竹田光訓選手が、目玉となった1984年のドラフト会議。両選手ともに3球団が入札。抽選の末に広沢選手はヤクルトスワローズ、竹田選手は横浜大洋ホエールズへと入団が決まっている。広沢選手はヤクルト、巨人、阪神と3球団で活躍。2016年終了時点で巨人・阪神の両球団で4番を打った唯一の選手でもある。

その他の上位指名では正田耕三選手(広島2位)、和田豊選手(阪神3位)ら攻守にわたり活躍したいぶし銀的な存在の両選手が名を連ねている。

一方、下位指名で目立った選手といえば、阪急ブレーブスの6位指名である福良淳一選手だろう。福良選手は阪急(オリックス含む)で13年間にわたりプレー。ベストナインに2度輝くなど名二塁手として活躍。2016年からはオリックス・バファローズの監督として指揮を執っている。

また、近鉄バファローズが5位で指名したのが鈴木貴久選手だった。鈴木選手は3年目の1987年にレギュラーを獲得すると21本塁打を放つ活躍。そこから4年連続で20本塁打を達成するなど中軸として成績を残し、現役引退までに通算192本塁打を放ったパワーヒッターだ。
タイトルの獲得こそなかったが、当時の近鉄において忘れてはいけない一人でもある。

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