「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

【1990年代前半を振り返る】ドラフト下位指名からのブレイクは?

2017 10/13 10:05cut4
野球ボール,グローブ
このエントリーをはてなブックマークに追加

1990年:下位指名ながらオリンピック代表選手へ!

1990年のドラフト会議は、前年の野茂英雄選手(近鉄他)同様に8球団競合の選手が誕生した。人気となったのは亜細亜大学に所属していた小池秀郎選手だ。抽選の結果、小池選手はロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が交渉権を獲得。しかし、小池選手は入団を拒否し社会人野球の松下電器へと進むことになる。
その他の1位指名では長谷川滋利選手がオリックス・ブルーウェーブ、元木大介選手が読売ジャイアンツがそれぞれ単独で指名され入団に至っている。元木選手は前年に福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から1位指名を受けたが、巨人入りを熱望し浪人生活を送っていた。その熱意が実った結果だ。

このドラフト会議で下位指名から大きな実績を残した選手の筆頭格が、村松有人選手だ。村松選手は石川県・星稜高校からダイエーに6位指名で入団。
5年目となる1995年に95試合に出場し32盗塁をマーク。翌1996年には58盗塁で盗塁王も獲得している。2004年のアテネオリンピック日本代表でもプレーし銅メダルに貢献した。現在はソフトバンクでコーチを行うなど野球界で息の長い活躍を行っている。

また、1991年セ・リーグ新人王に輝いたのは、ドラフト5位で住友金属から中日ドラゴンズ入りした森田幸一選手だった。森田選手は新人ながらクローザーとして起用され50試合に登板。10勝3敗17セーブ、防御率3.03の成績を残しタイトルを獲得。故障もあり、初年度がキャリアハイとなってしまったのは残念だが、下位指名ながら輝いた選手といえるだろう。

1991年:イチロー選手が誕生したドラフトで三浦大輔選手もプロ入り

1991年のドラフト会議は駒澤大学の若田部健一選手、東北福祉大学の斎藤隆選手、関西学院大学の田口壮選手が1位で重複。若田部選手は福岡ダイエーホークス、斎藤選手が大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)、田口選手はオリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)が交渉権を獲得。それぞれ、入団を果たしている。

このドラフトからプロ入りを果たした選手でもっとも実績を残したのはイチロー選手(現・マーリンズ)だ。愛工大名電高校のイチロー選手はオリックスから4位指名を受けプロ入りし、3年目のシーズンとなる1994年に210安打を放ちスター街道に乗ると、数々のプロ野球記録を打ち立てメジャーリーグヘ移籍した。2017年現在も現役で活躍している。

また、中村紀洋選手(DeNA他)も近鉄バファローズから4位指名を受け入団し、メジャーリーグ移籍を果たす活躍を見せた。

イチロー選手、中村選手は4位指名だったが、2名よりも下の順位から大きく羽ばたいた選手もいる。大洋ホエールズの6位指名だった三浦大輔選手だ。三浦選手は奈良県・高田商業高校からプロ入りを果たし、2016年まで25年間にわたり現役生活を全うした。「ハマの番長」として親しまれ通算172勝をマークしている。

おすすめの記事