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ユニバーシアード競技大会で活躍したプロ野球選手たち

2017 10/13 10:05Mimu
野球
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実は20年間野球競技が開催されていなかった

ユニバーシアード競技大会は、国際大学スポーツ連盟(FISU)が主催する学生を対象にした国際総合競技大会で、2年ごとに開催されている。別名『学生のオリンピック』とも呼ばれ夏季大会、冬季大会がある。
ユニバーシアード野球競技も開催されたが、開催されたのは1993年、95年の2度だけであった。2015年に再び開催が決定した野球競技。実に20年ぶりの再開となった。

だが95年の大会からは、多くのプロ野球選手が排出されているので、そちらを紹介していきたい。
この年のユニバーシアードでは、青山学院大学の井口忠仁(資仁)選手、東洋大学の清水隆行さん、同じく東洋大学の今岡誠さんが主力選手として活躍していた。「1番ショート 井口」「4番ライト 清水」「5番サード 今岡」がほとんどの試合で固定されており、それぞれの試合で印象的な活躍を見せている。

予選ラウンド初戦となったアメリカ戦では、井口選手が3安打でトップバッターとしての役割を果たしたかと思えば、4番の清水さんが3安打4打点、今岡さんも2安打、中村豊さんも3安打を記録しており、15-0の大勝に貢献している。さらに中国戦では清水選手が2本のホームランで5打点。決勝ラウンドのアメリカ戦では今岡選手が3安打2打点。
残念ながら準決勝の韓国戦で敗れてしまい、惜しくも3位に終わってしまったものの、福岡を大いに盛り上げた。また井口選手、今岡さんはこのとき3年生であり、翌96年のアトランタオリンピックにも出場。日本の銀メダルに大きく貢献している。

3人ともプロでは大活躍している

井口選手はダイエーホークスに入団し、2001年・2003年には盗塁王を獲得。特に2003年は打率.340 27本塁打 44盗塁という成績を残し、史上最強とも言われた「ダイハード打線」の一角を担った。
その後はMLBのホワイトソックスに移籍して、世界一も経験。ロッテに復帰後も、チームの中心選手として活躍した。そして、2017年シーズン限りでの引退を発表している。

清水隆行さんも、当時の長嶋茂雄監督に見いだされて、バントをしない強打の2番打者としてレギュラーに定着。原監督に代わると、1番打者に定着して、2002年には最多安打のタイトルを獲得し、この年の日本一に大きく貢献した。現在はラジオなどで解説者として活躍している。

今岡誠さんも、2000年代前半に大活躍している。2003年に1番打者として打率.340を記録し、首位打者を獲得。チーム18年ぶりのリーグ優勝に貢献すると、2005年には打率.279、29本塁打ながら147打点を記録した。これはNPBでも歴代3位となる記録である。
この年は本当に勝負強く、30本塁打未満でこれだけの打点を稼いだのは、後にも先にも今岡さんしかいない。現在は「今岡真訪」に登録名を変更し、阪神の2軍打撃コーチを務めている。

投手陣でも後におなじみのメンバーが

投手陣でも、その後プロ入りする選手たちがたくさんいる。
有名選手では、東北福祉大の門倉健さんや、日体大の小林雅英さんなどだ。門倉さんといえば中日~近鉄~横浜で活躍し、2桁勝利4度を記録した名投手で、横浜時代の2005年にも177奪三振で、最多奪三振のタイトルを同僚だった三浦大輔さんと分け合っている。
最も印象的だったのは、2001年近鉄時代に強力打線に援護され、防御率6.49ながら8勝を記録し、シーズン優勝に貢献していることではないだろうか。このユニバーシアード大会では、イタリア戦と韓国戦の9試合に登板し、合計で9回3失点7奪三振という数字を残しており、現在は解説者として活躍中だ。

小林雅英さんは、千葉ロッテマリーンズの守護神として長年活躍し、幕張の防波堤という異名が付いたほどの選手だ。実は大学時代はプロへ進む意思がなく、将来は高校野球の指導者を志しての日体大という選択であった。
しかし、このユニバーシアード大会などでプロに進むような選手たちと共に戦い、プロを志すようになったという(ただしこの大会では登板機会がほとんどなかった)。彼の通算228セーブは歴代でも5位を記録し、現在はロッテ1軍投手コーチとして活動している。

2015年大会でクリーンナップを組んだ3人がプロ入り後も活躍

2015年のユニバーシアードでは、たくさんのメンバーがプロ入りしている。特にクリーンナップを組んだ高山俊選手、吉田正尚選手、茂木栄五郎選手の3人はプロ入り後の活躍も目覚ましい。

主に3番センターを務めていた高山選手は、明治大学時代に6大学の通算安打記録を60年以上ぶりに塗り替える程の記録を持つ大学No.1の安打製造器であった。この大会初戦の韓国戦では、チームに勢いをつけるタイムリーを放っており、プロ入り後は阪神タイガースで新人王を獲得している。

そして4番を務めたのが、青山学院大学からオリックスへと入団した吉田選手である。大学通算18本はこの世代で最多記録で、大学No.1スラッガーだった。その長打力はプロ入り後もいかんなく発揮され、入団から2年連続で2桁本塁打を記録している。
大会前のNPB選抜チームとの壮行試合では、当時西武ライオンズのルーキーだった高橋光成選手からライトスタンドへ完璧なホームランで、NPB選抜メンバーたちの度肝を抜いた。

茂木選手は5番、ポジションも主にファーストであった。その後楽天へと入団し、ショートのレギュラーを掴んだ茂木選手であったが、早稲田大学では主にサードを守っていたのだ(ショートは日本ハムに入団した石井一成選手)。
通算本塁打は吉田選手よりも少ないが、広角に打つことができるのが持ち味だ。早稲田時代に放った本塁打10本の内、逆方向が3本もある。この大会では打率も5割をマークし、クリーンナップの3人の中ではもっとも調子が良く、4試合中3試合でタイムリーヒットを放つ活躍を見せていた。

キャッチャーの2人もプロで奮闘中

他の野手陣ではキャッチャーとして代表に選出された、坂本誠志郎選手と宇佐見真吾選手もプロ入りしている。坂本選手は明治大学から阪神タイガースへ入団し、現在は梅野隆太郎選手と捕手争いの真っ最中だ。
プロ入り当時は打撃に難ありと評価されていたが、打撃でも頑張っているようだ。この大会でも打率5割(8-4)に3打点を残している。初戦の韓国戦では先制タイムリーを放ち、記念すべきチーム大会初得点を自らのバットで生み出している。

宇佐見選手も城西国際大から読売ジャイアンツへと入団し、2017年シーズン終盤になって出番が回ってくるようになった。もともと打てる捕手として評価が高く、この大会でも2試合の出場ながら、3打数3安打で打率10割という数字を残している。
守備面では、2試合目の中国戦で澤田圭介選手を好リードし、チェンジアップを効果的に使い、相手打線を翻弄していた。

非常に豪華だった投手陣

4年生で出場した明治大学の上原健太選手、東京農業大の井口和朋選手、東海大の吉田侑樹選手は、みんなそろって日本ハムへと入団した。
指名順位は上原選手が1位、井口選手が3位、吉田選手は7位で、上原選手と井口選手は1年目からプロデビューを果たし、井口選手は中継ぎとして37試合に登板するなど、特に活躍をみせている。

だが、それ以上に話題になっていたのは、当時の3年生の進路だろう。翌年のドラフト、田中正義選手は何と5球団競合の末に、福岡ソフトバンクホークスへと入団した。大会本選では試合数の少なさが影響して出番も少なかったが、NPB選抜との壮行試合では7者連続三振を奪うなど、既に下級生の時からの評価が非常に高かったのだ。

そして柳裕也選手は2球団競合で中日ドラゴンズへと入団している。この大会では2試合10回2/3で18奪三振を出すようなエース的な存在で、まちがいなく優勝の立役者の1人だ。
ドラフト1位でDeNAベイスターズへと入団した濱口遙大選手は、肘のケガで辞退した今永翔太選手に変わって招集された選手である。その今永選手も濱口選手の前年に、ベイスターズからドラフト1位指名にを受けていた選手だ。

このように、ユニバーシアードに出場した選手たちの多くは、その後もプロ野球入りを果たしている。今回の大会では、いったい何人がプロ入りするだろうか。10月のドラフトが楽しみである。