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「幕張の安打製造機」こと福浦和也選手は2000本到達なるか!?


投手として入団するも1年目で野手へ転向

千葉県習志野市出身の福浦和也選手は、地元の習志野高校に進学。甲子園出場経験はないものの、1993年ドラフト会議において7位で千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団に至る。高校時代は投手としてプレーしており、ドラフト時も投手として指名を受けた。ロッテの同期入団には諸積兼司選手、小野晋吾選手らがいた。また、この年のドラフトで7位まで指名を行ったのはロッテのみとなっており、最終指名選手にもなっている。

入団1年目の1994年は、二軍で1試合も登板しないうちに投手から野手へと転向している。これは、マシン相手のフリー打撃で鋭い当たりを連発。山本功児2軍打撃コーチに見いだされたことに起因する。当初は投手で入団したプライドもあり、野手への転向を拒否したが、オールスター明けには承諾し「野手 福浦」のプロ生活が始まった。
1年目のシーズンは一軍での出番はなかったが、二軍で7試合8打席与えられ1安打。打率.125の成績を残している。当時の首脳陣は福浦に対して投手としては並の評価をしており、福浦は山本コーチに見いだされていなければ、大打者への道は閉ざされ、すでに現役を引退していた可能性が高かったのだ。

一軍デビューまでの下積み

投手として入団するも1年目で野手へと転向した福浦選手。2年目の1995年は二軍で76試合に出場し打率.263(190打数50安打)、5本塁打、23打点、3年目は54試合に出場し打率.235(81打数19安打)、0本塁打、9打点の成績を残している。

2軍で実戦を詰んだ福浦選手は、入団4年目となる1997年7月に初の一軍昇格を果たし、一塁手のポジションを掴む。この年は67試合に出場し打率.289(218打数63安打)、6本塁打、23打点と結果を残し、翌1998年は開幕戦から3番・一塁で出場しレギュラーへと定着した。この年、129試合で打率.284(465打数132安打)、3本塁打、57打点の成績で打撃ランキング12位に名を連ねている。ロッテ内では平井光親選手、初芝清選手に次ぐチーム3位の記録である。

プロ入り後に野手に転向し、高卒5年目でレギュラーへ定着したことからも、福浦選手の潜在能力の高さがうかがいしれる。2000年には打率.296(446打数132安打)と3割まであと一歩のところまで迫っていた。

18連敗の当事者だった福浦選手

福浦選手がレギュラーに定着した1998年、ロッテにとって忘れられない夏となった。2016年終了時点でもプロ野球記録となっている18連敗を喫したのだ。6月13日のオリックス戦を4-6で落としたのを皮切りに、引き分けを挟み18連敗。

なかでも7月7日のオリックス戦がファンの記憶に残っているだろう。この試合は9回2死までリードするも、「ジョニー」こと黒木知宏投手がプリアム選手に痛恨の2点本塁打を被弾。同点に追いつかれ、試合は振り出しに。結局、延長12回裏に広永益隆選手が代打満塁サヨナラ本塁打を放ち3-7でロッテは敗れている。この敗戦で日本記録の17連敗となったのだ。

この試合で福浦選手は3番一塁で先発出場し4打数1安打1打点を記録している。「七夕の悲劇」とも呼ばれたこの試合に出場し、2017年現在で現役でプレーしているのは福浦選手、そして当時オリックスのイチロー選手(現マーリンズ)2人のみ。イチロー選手はこの試合に3番・右翼で出場。5打数2安打の成績を残している。

イチローの後の首位打者

1994年にプロ入り3年目のイチロー選手は当時のシーズン最多安打記録となる210安打をマーク。打率.385(546打数210安打)で首位打者を獲得。2位のカズ山本選手が打率.317(420打数133安打)となっており、その差は.068。まさに圧倒的大差だった。翌1995年から2000年までのパ・リーグ首位打者争いは、イチロー選手を誰が止めるのかに焦点が当たっていた。

しかし、イチロー選手は各球団からのマークをものともせずに首位打者を獲得。2000年までプロ野球記録となる7年連続首位打者を達成し、ポスティング制度を用いシアトル・マリナーズへと移籍した。

イチロー選手が不在となったことで2001年からパ・リーグの首位打者争いは混沌とする。その2001年の首位打者争いを制したのが福浦選手だった。福浦選手はこの年、20試合の欠場があったものの打率.346(451打数156安打)と自身初となる打率3割をマーク。小笠原道大選手(日本ハム)、松中信彦選手(ダイエー)との争いを制し首位打者を獲得した。この年の福浦選手は盗塁が0であり、史上初めて盗塁0での首位打者に輝いている。

2001年にブレイクを果たしてから福浦選手は「幕張の安打製造機」として名を馳せ、6年連続で打率3割をマークし首位打者争いの常連となった。

2003年は自身初の全試合出場を果たし140試合に出場。打率.303(567打数172安打)、21本塁打、76打点をマーク。生涯唯一の20本塁打を超えたのもこの年だった。また、二塁打50本はリーグ最多となっている。

2000本を目指して

2001年から2006年まで6年連続3割を記録し、リーグを代表する巧打者となった福浦選手。2007年に打率.258(395打数102安打)と3割を割ると、徐々に出番も減り成績は下降気味となる。2012年からは出場試合数も100試合を割り、安打数は50本に満たなくなっていた。

しかし、2000本安打という大目標もあるために現役を続行。「代打の切り札」が主な役割ながらもスタメンでも出場し、安打を積み重ねていく。その数は2016年終了時点で1932まで積み重なった。残り68本で開幕した2017年シーズンは開幕直後の4月中旬に一軍昇格。代打のみならず4番としても試合に出場するなど存在感を発揮。5月半ばに太ももの張りで登録抹消されるも6月には一軍へ再復帰。代打の切り札としてチームに貢献している。

現在の起用法だと2017年シーズン中の2000本安打到達はむずかしい。今シーズン、チームの柱であり球界最年長野手の井口資仁選手が現役を引退することもあり、福浦選手は来シーズンも現役を続行するだろう。2018年シーズンで念願の2000本安打達成を決めたいところだ。

ロッテ1球団で2000本安打を達成したのは「ミスターロッテ」こと有藤道世選手ただひとり。チーム史上2人目となるロッテ一筋2000本安打記録に期待が掛かる。

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