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「幕張の安打製造機」こと福浦和也選手は2000本到達なるか!?

2017 8/25 10:07cut
野球ボール、バット
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投手として入団するも1年目で野手へ転向

千葉県習志野市出身の福浦和也選手は、地元の習志野高校に進学。甲子園出場経験はないものの、1993年ドラフト会議において7位で千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団に至る。高校時代は投手としてプレーしており、ドラフト時も投手として指名を受けた。ロッテの同期入団には諸積兼司選手、小野晋吾選手らがいた。また、この年のドラフトで7位まで指名を行ったのはロッテのみとなっており、最終指名選手にもなっている。

入団1年目の1994年は、二軍で1試合も登板しないうちに投手から野手へと転向している。これは、マシン相手のフリー打撃で鋭い当たりを連発。山本功児2軍打撃コーチに見いだされたことに起因する。当初は投手で入団したプライドもあり、野手への転向を拒否したが、オールスター明けには承諾し「野手 福浦」のプロ生活が始まった。
1年目のシーズンは一軍での出番はなかったが、二軍で7試合8打席与えられ1安打。打率.125の成績を残している。当時の首脳陣は福浦に対して投手としては並の評価をしており、福浦は山本コーチに見いだされていなければ、大打者への道は閉ざされ、すでに現役を引退していた可能性が高かったのだ。

一軍デビューまでの下積み

投手として入団するも1年目で野手へと転向した福浦選手。2年目の1995年は二軍で76試合に出場し打率.263(190打数50安打)、5本塁打、23打点、3年目は54試合に出場し打率.235(81打数19安打)、0本塁打、9打点の成績を残している。

2軍で実戦を詰んだ福浦選手は、入団4年目となる1997年7月に初の一軍昇格を果たし、一塁手のポジションを掴む。この年は67試合に出場し打率.289(218打数63安打)、6本塁打、23打点と結果を残し、翌1998年は開幕戦から3番・一塁で出場しレギュラーへと定着した。この年、129試合で打率.284(465打数132安打)、3本塁打、57打点の成績で打撃ランキング12位に名を連ねている。ロッテ内では平井光親選手、初芝清選手に次ぐチーム3位の記録である。

プロ入り後に野手に転向し、高卒5年目でレギュラーへ定着したことからも、福浦選手の潜在能力の高さがうかがいしれる。2000年には打率.296(446打数132安打)と3割まであと一歩のところまで迫っていた。

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