歳内選手との死闘を繰り広げた広陵高校時代
有原航平選手は、広島県出身で地元の名門高校でもある広陵高校へ進学。2年秋からエースとしてチームを引っ張っていた。その有原選手にとって初めての甲子園出場は3年春のセンバツである。エースナンバー「1」を背負って甲子園に出場した有原選手は、初戦の立命館宇治高校戦、2回戦の宮崎工業戦と連続完投勝利。準々決勝こそ9回途中でマウンドを降りたものの、8.1回無失点と先発投手として十二分の活躍を果たした。
準決勝では高山俊選手(現阪神)、横尾俊建選手(現日本ハム)、山崎福也選手(現オリックス)擁する日大三高との対戦となる。8回表の時点で5-4と1点リードしていたのだがその裏に8失点を喫し大敗する。初めての甲子園はベスト4に終わっている。
その年、夏の甲子園にも出場を果たした有原選手。初戦の相手はエース・歳内宏明選手(現阪神)がチームを引っ張る聖光学院高校だった。有原選手と歳内選手の息詰まる投手戦は6回まで両チーム点を奪うことができず、スコアボードに「0」が並ぶ。白熱した投手戦の均衡が破れたのは7回裏だった。この回、有原選手は自身の暴投により1点を失い、これが決勝点となってしまったのだ。有原選手最後の夏は暴投による失点で幕を閉じてしまう。
この一戦は、息詰まる投手戦として名勝負に数えられることもある一戦だ。その後、プロ志望届は提出せずに大学進学を表明。大学野球の道へ進むこととなった。
日本代表から選考漏れとなった早稲田大学時代
広陵高校から直接プロ入りはせずに東京六大学の名門・早稲田大学へと進学した有原選手。1年春からリーグ戦に10試合の登板を果たすなど、期待を掛けられていた。
2年秋から先発として起用されるようになり、4勝1敗、48.1回を投げ防御率2.23と、初めて規定投球回に到達。3年時は春・秋ともに3勝ずつを挙げる活躍を見せる。特に秋は8試合で3勝1敗と勝ち星は伸びなかったものの、防御率は0.72でリーグ1位となった。
最終学年となった2014年は春に5勝1敗、防御率1.38の成績でベストナインに選ばれる。優勝に導くことはできなかったものの、ドラフト前の大きなアピールとなった。春のリーグ戦後に大学日本代表候補へ選ばれたものの、最終メンバーに選ばれることはなく、落選となった。のちに、プロで二ケタ勝利を達成することになる有原選手でも、この年の日本代表に加わることはできなかったのである。
最後の秋はヒジの故障もあり、わずか4試合の登板で1勝1敗と、有終の美を飾ることはできなかった。しかし、大学生活4年間で通算19勝12敗、271回を投げ防御率2.72の立派な成績を残している。
大学1年時からプロ注目の右腕として期待されており、満を持し、4年時にプロ志望届を提出。2014年のドラフト会議ではDeNA、阪神、広島、日本ハムと4球団から1位指名を受け、抽選の末に日本ハムが交渉権を獲得。交渉の末にプロ入りを果たした。
規定投球回に届かなかったものの新人王獲得
即戦力候補として日本ハムにドラフト1位で入団を果たした有原選手。1年目となる2015年は開幕一軍こそ逃したものの、5月中旬には一軍デビューを果たす。その試合で6回2失点、奪三振4と好投を見せ初先発初勝利をマーク。その後はシーズン終了まで二軍降格することなく、ローテーション投手として定着した。
しかし、前半戦は4勝3敗、防御率5.79と貯金を1つ作ったものの安定しなかった。後半戦に入ると7月29日からの6登板で4連勝を飾るなど、チームに貢献。9月5日のオリックス戦では9回無四球、被安打4でプロ入り初完封勝利を飾っている。
最終的に年間を通して18試合に登板し8勝6敗、103.1回を投げ防御率4.79の成績で、新人王に輝いた。日本ハムからの新人王は2010年の榊原諒選手以来4年ぶりの受賞でもある。実際、先発ローテーション投手に定着したのが5月半ば以降ということもあり、規定投球回に達していない。しかし、翌年以降に中心選手となることを期待させてくれる投球内容であったことは間違いない。
この年、クライマックスシリーズへと進出した日本ハムは、シーズン中に先発起用のみであった有原選手を中継ぎとして起用。第2戦に2回無失点で勝利投手となったが、第3戦では2回1失点で敗戦投手となっている。
天国と地獄の2年目
新人王を獲得し、大谷翔平選手らとともにチームの柱として期待された2年目(2016年)の有原選手。自身開幕戦から6試合で5連勝を飾るなど絶好のスタートを切った。その間の防御率は1.31を記録し、まさにエース級の働きを見せチームに大きく貢献。その後、3連敗などもあったが前半戦で10勝3敗、防御率1.73の成績で初のオールスターゲームにも出場を果たす。
7月は4試合に登板し3勝1敗、30.2回を投げ防御率1.47の成績で月間MVPを受賞するなど、順風満帆のシーズンに見えた。しかし、7月29日の試合で敗戦、そこから6連敗する。首位を争っていたソフトバンク相手に3敗を喫してしまう。
そのまま、やられっぱなしで終わってはいない。天王山と呼ばれた9月下旬のソフトバンク戦に先発登板を果たすと、6回2失点で先発としての役割を果たし、チームの勝利に貢献。優勝をたぐり寄せている。
この年、22試合に登板し11勝9敗、156回を投げ、防御率2.94の成績を残し、優勝への原動力となった。
シーズンで2度の5連勝を記録し、後半戦で6連敗と苦渋を味わい、天国と地獄を味わったシーズンでもあった。
試練の3年目を乗り越えることに期待
新人王を獲得し、2年目は二ケタ勝利と順調に階段を上ってきた有原選手。3年目となった2017年は、大谷選手が負傷したことで、開幕投手を任されることとなる。しかし、6回途中6失点(自責4)で敗北。2戦目も8回8失点で大乱調。安定した投球を見せることができずに開幕から4連敗してしまう。
その後、3連勝と復調したかに見えたが、交流戦前、最後のカードとなるソフトバンク戦で3回8失点でノックアウトされる。栗山英樹監督は二軍降格を命じ、立て直しを図ることになった。
約3週間の二軍調整を経て一軍復帰を果たした有原選手は、調子を取り戻し2連勝。大量失点も減り前年(2016年)張りの投球を見せてくれた。今後も日本ハムの先発投手陣を支えていく存在となるであろう有原選手。エースとなるためには年間を通じて安定した投球が求められる。大エースへ成長するためにも一段上の投球に期待したい。