カープ助っ人史上最高の貢献度!ブラッド・エルドレッド|【SPAIA】スパイア

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カープ助っ人史上最高の貢献度!ブラッド・エルドレッド


チームどころか広島の街にまで馴染んでしまったエルドレッド

いまや来日6年目を迎えたブラッド・エルドレッド選手。ヒーローインタビューでは、片言の日本語を披露し、観客たちを大いにわかせた。普段から覚え立ての日本語をチームメイトに話し、輪の中に溶け込んでいるようだ。
家族とともに広島市内に済んでおり、近所では自転車をこぐエルドレッド選手の姿が頻繁に目撃されている。愛娘も広島の小学校に入学したらしく、すっかり日本になじんでいる。カープファン以外でも、彼のことを応援している方は多いのではないだろうか。

過去に1度クビになりかけたこともあったが、今やチームに欠かせない存在だ。2013年に16年ぶりのAクラスになり、2016年に日本シリーズに進出できたのも、彼の存在が非常に大きかった。残留を要請してくれた野村謙二朗監督には、本当に感謝しなければならないだろう。ここで少し、当時のことを振り返ってみよう。

2年目の成績は微妙であったが、野村謙二朗監督の一声で残留

エルドレッド選手は2012年の6月から広島カープに入団した。当時の成績は65試合の出場で、打率.262(225-59) 11本塁打 35打点というものだった。シーズン途中からの加入と言うことを考えると決して悪くはなく、翌年も残留することとなった。
しかし、2013年は右手首の骨折や不振などで2軍落ちも経験し、66試合しか出場できず。成績も打率.247(260-58) 12本塁打 32打点と前年よりも全体的に落としてしまう。この成績だけを見ると、誰もが残留は厳しいだろうという印象を抱いた。

そんな中でエルドレッド選手は2013年オフに残留することが決定した。当時の野村謙二郎監督が、球団に残留を要請したからだ。野村監督はエルドレッド選手の真面目さを高く評価していた。
2013年シーズンは、チーム事情から外野を守ることも多かった。元々本職はファーストであったが、新加入したキラ・カアイフエ選手がファースト選任ということもあり、後半戦はレフトでの出場が主になった。196cmの巨体を持ち既に33歳だったエルドレッド選手とって、慣れない外野守備は負担であっただろう。

高く評価された野球に対する姿勢

エルドレッド選手は文句1つ言わない上、外野守備内野守備両方に一切手を抜かず、真面目に取り組んだ。この年のクライマックスシリーズでは、レフト後方への大飛球を必死に敗走しながら、最後はジャンピングキャッチという好プレーも見せている。トータルで見ると決して上手な方ではないが、彼の真面目さと必死さを野村監督は高く買っていたようだ。

また、2軍に落ちた際も腐らず熱心に練習し、若手選手たちに対して熱心に指導している姿も見受けられた。若手選手からは「センパイ」と呼ばれているようだ。本人にとってマイナスでもある2軍落ちだが、それを利用してチームに溶け込もうとするその姿は、いつの間にやらその存在がチーム全体に好影響を与えるまでになっていったのだ。

まじめに取り組んだ結果、バッティングの内容も改善

本職の打撃でも成長を見せていたことを見逃してはならない。確かに、トータルの成績を見れば、2012年と2013年の成績はさほど変わらないのだが、その内容に注目してみると、9月からは明らかにバッティングが変わっていた。7月に不振で2軍落ちしたものの8月31日に復帰すると、9月5日の中日戦で3安打1打点の活躍。さらに7日のDeNA戦では2ホーマーを含む3安打3打点の大活躍で、ここから一気に打棒が爆発していく。

特に9月10日~17日にかけてチームは7連勝を達成したのだが、この間のエルドレッド選手は打率.357(28-10) 3本塁打 7打点と大当たり。さらにCSマジックが1となって迎えた25日の中日戦では、浅尾拓也選手から決勝ツーランホームランを放ち、チーム初のCS進出を自らのバットで決めた。
それと同時に97年から続く16年連続Bクラスという不名誉な記録もストップし、長らく停滞していたチームの歴史が、ようやく動き始めた瞬間であった。

2007年オフに新井貴大選手が阪神タイガースへと移籍して以降、チームは長打の打てる内野手を探していた。栗原健太さん(現楽天2軍打撃コーチ)が4番に座っている間はまだ良かったが、その栗原さんも2011年を最後にケガで試合に出場することもままならず、外国人選手へかかる期待は大きかったのだ。
たとえ打率が低かろうと、ここぞの場面で試合を決める1発を放つことができる選手、この年のエルドレッド選手はまさにチームが求める選手像にピッタリと当てはまっていたのだ。

残留が大正解!2014年にはホームラン王を獲得

この頃になると、エルドレッド選手と野村監督の間には確固たる信頼が生まれていた。監督のことを「ケニー」とよび、通訳もほとんど介さずにコミュニケーションを取っていたようだ(野村監督はカープの監督をする以前にMLBのカンザスシティ・ロイヤルズの臨時コーチを務めた経験があり、英語でにジェスチャーを交えることでコミュニケーションを取っていた)。
時には食事をともにし、時には打撃指導でアドバイスを送り、エルドレッドもきちんとそのアドバイスを取り入れ、どんどん日本の野球に慣れていったようだ。

それが実を結んだのが、2014年である。3・4月に.373 8本塁打 27打点で月間MVPを受賞する最高の滑り出しを見せると、6月15日のロッテ戦では逆転満塁ホームランで、前半戦だけで29本塁打を放つなど大活躍だった。
後半戦は失速して6打席連続三振、28試合連続三振などの不名誉な記録も作ったため、2軍落ちになってしまった時期もあった。だが、9月15日に復帰すると再び当たりが戻りだし、最終的な成績は118試合で打率.260(454-118) 37本塁打 104打点と自己最高の成績で、ホームラン王のタイトルも獲得した。

いまやチームに欠かせない存在!記憶にも記録にも残る選手

翌年以降もケガなどがあり、100試合以上出場したのは結局2014年のみ。しかし要所でチームの流れを変える1打を放ち、勝利に貢献してきた。野村監督の後任である緒方耕一監督とも、しっかりと信頼関係が気付けているようだ。2016年には確実性も増し、打率.291をマーク。日本シリーズでは3試合連続ホームランを放ち、敢闘賞にも選ばれるほどの活躍を見せた。

2013年までは単なる外国人選手の1人だったが、野球にひたむきに向き合ってきた結果、いつしかカープで最高の助っ人となり、ホームラン王1度に日本シリーズでも活躍。まさに記憶にも記録にも残る選手だ。

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