格闘家の道を目指した古木克明選手
横浜ベイスターズ、オリックス・バファローズで活躍した古木克明選手。
1980年生まれの「松坂世代」として豊田大谷高校時代から注目を浴び、1998年のドラフト1位で横浜へ入団する。2003年シーズンに125試合へ出場すると、打率.208ながら22本塁打をマークしてレギュラーを獲得。同じ松坂世代でもある村田修一選手らと主軸として期待がかかるが、その後は好成績を残すことができず、2008年からはオリックスでプレーした。
2009年に現役を引退すると、恵まれた体格を生かすために格闘技を始め「スマッシュ」に入団。2011年に初勝利を挙げるなどしたが、翌年から再び野球に専念。2013年にはハワイの独立リーグでプレーした。独立リーグでは1年間プレーを行い、打率.307の成績を残すが、引退して現在はビジネスを行っている。
マウンドからバンクへ!伊代野貴照選手
2002年のドラフト10位でローソンから阪神タイガースへと入団した伊代野貴照選手。
プロ入り後は6年間で10試合に登板して1勝1敗、防御率7.04の成績を残した。2008年に阪神を退団後は台湾プロ野球界に移籍し1年間プレー、その後、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに所属して24試合で2勝2敗9セーブ、防御率1.98の好成績を残して退団した。
2011年に競輪学校へ入学し、競輪選手の道を目指す。2012年に競輪選手として登録され7月にデビュー。現在はS級に昇格し、タイトル獲得へ向けて日々奮闘している。
「ジャイアント馬場」こと馬場正平選手
プロレスラーの「ジャイアント馬場」こと馬場正平選手は、レスラーになる前はプロ野球選手としてプレーしていた。1955年に高校を中退して巨人に入団。当時、17歳ということもあり一軍デビューを果たすことはできず、一軍に昇格したのは1957年だった。
この年、一軍で3試合に登板して0勝1敗、7回、被安打5、奪三振3、与四球0、防御率1.29の成績を残す。しかし、シーズン終盤に脳の病を発症して手術を行う。病から復帰した翌シーズン以降も、二軍では1959年に最優秀投手の活躍を見せて一軍昇格を目指すが、チーム事情もあり昇格できない。この年のオフに戦力外通告を受けて巨人を退団した。
他球団からの誘いもあったが、風呂場での転倒が原因で大けがをして破談。その後、力道山の門を叩いてプロレスラーに転向したのだ。
「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司選手
日本ゴルフ界のトップに長らく君臨していた「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司選手。尾崎選手はゴルフ界の実績が大きいこと、1947年生まれということで若い頃の記憶を持っているファンが少ないこともあり、ゴルフを行う前の経歴があまり知られていない。
尾崎正司(当時の名称)選手はゴルフの門を叩く前は西鉄ライオンズで投手としてプレーしていた。1965年、1966年の2年間にわたり投手としてプレーしたものの、20試合に登板して勝ち星を挙げることはできなかった。1967年には野手に転向してプレーしたが、目立った成績を残すことができずに退団し、ゴルフの道へと進むことになったのだ。
「デーブ大久保」こと大久保博元選手もゴルフ界へ
西武ライオンズ、読売ジャイアンツで活躍して「デーブ大久保」の愛称で親しまれた大久保博元選手は、現役を引退後にゴルフのツアープロへと転向した。プロテストを受けなくても出場資格を得られる制度を利用して、年間6試合までの推薦出場が可能だったのだ。
2002年から2006年までの5年間で予選通過は一度もなかった大久保選手は、2008年から埼玉西武ライオンズのコーチに復帰する。その後、2015年には東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任するなど野球界で活躍。現在はスポーツキャスターを務めながら自身で居酒屋を経営している。
まとめ
プロ野球選手になるほどの身体能力があれば、他のスポーツでもプロになることはできるようだ。
しかし、その世界でさらなる成功を収めるには、身体能力だけではなく努力、才能など、その他の要素も必要になってくる。
今後もプロ野球選手を引退後に他のスポーツで活躍する選手は誕生するのか楽しみだ。