埼玉で野球人生を送る豊田拓矢投手
八潮市出身の豊田拓矢投手は、小学生の頃より野球を始め、中学生の時には地元のシニアチームに所属、この頃より徐々に頭角を現し始める。そして高校は甲子園で優勝経験もある名門であり、彼の地元でもある埼玉県の浦和学院高校野球部に入部した。チームは予選を勝ち抜き、自身も甲子園に出場した経験があるが、2回3分の2を投げ無失点という記録を残すのみだった。
彼が大きく成長するのは上武大学に進学して以降だ。4年生の時に関甲新学生野球の春季リーグで5勝を挙げて最多勝を獲得、社会人のTDKに進んでも都市対抗野球で活躍した。そして2013年のドラフト3位で、地元球団の埼玉西武ライオンズに入団するのだ。
プロ入り後の活躍と地元における貢献活動
ルーキーイヤーの2014年は開幕1軍を勝ち取った。主に中継ぎで登板し、150キロの速球を武器に敗戦処理だけでなくチームが勝っている場面でも登板、結局この年は34試合に登板して2勝2敗2ホールドの成績を残した。それ以降は右肩のケガに悩まされ、登板数も激減したが、2016年にはそれも完治し、今後のさらなる活躍が期待されている。
そんな豊田投手だが、チームを通しての社会貢献活動も積極的に行っている。2016年12月には、県内の少年野球チームを集めて野球教室を開催。基本的な動き方を徹底的に指導した。イベントの最後には記念撮影やサイン入りグッズのプレゼント大会を行い、少年たちと交流を深めている。
異色の経歴の持ち主!個性際立つ埼玉県出身の野球選手とは
富士見市出身の今成亮太選手は、小学校入学前から早くも野球を始めており、中学生の時にはシニアでプレーしていたが、同時にサッカーも行っており、県大会に出場するなど運動神経抜群の少年として注目されていた。
高校は地元埼玉県の浦和学院に進学。1年から早くもベンチ入りし、秋には早くも正捕手に任命される。その後、主将という大役も務め、2、3年時には甲子園にも出場。打撃センスの高さと捕手としての強肩ぶりはプロのスカウトたちの注目を一身に集めた。
そして、2005年のドラフト会議において、北海道日本ハムファイターズから5位指名を受けてプロ入りを果たすのだ。しかし、3年目にようやく1軍デビューを果たすものの、試合出場に恵まれず、ついに2012年シーズン途中に阪神タイガースへトレードされた。
プロ入り後の今成選手の紆余曲折と社会貢献活動
思ったような活躍ができず阪神にトレードされた今成選手。しかし、これが彼のプロ野球人生の転機となった。打撃力を活かすべく、捕手だけでなくさまざまなポジションに挑戦する。これが功を奏し、2014年には115試合に出場するなど出番が激増、今や阪神になくてはならないユーティリティプレーヤーへと急成長を果たした。
苦労の末に今の地位を確立した今成選手だが、自分を育ててくれた地元への感謝の気持ちも忘れていない。富士見市PR大使に任命され、新成人となる同市の若者にビデオメッセージを送ったり、少年たち向けの野球教室も開催した。自身の捕手としての経験を活かし、スローイングのコツを教えるなど、さまざまな技術をコーチングしたのだ。
まとめ
今回は、豊田選手と今成選手の2人を紹介したが、埼玉県出身で現役プロ野球選手として活躍している選手は他にもまだまだたくさんいる。
彼らを追い続けることで、いつもとはまた違った角度からプロ野球を楽しめるかもしれない。