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一流選手も輩出!茨城県出身の現役プロ野球選手を紹介

2017 8/3 12:53TANANA
茨城県
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Photo by srattha nualsate / Shutterstock.com

シーズン20勝を挙げるなど阪神タイガースのエースとして大活躍した井川慶氏、読売ジャイアンツ不動の2塁手だった仁志敏久氏など、茨城県はプロ野球を沸かせるスター選手を多く輩出してきた。 今回は現役の中でも、将来性豊かな2選手を紹介していく。

高校生時代から注目度抜群!塚原頌平投手

茨城県結城市出身の塚原頌平投手は、つくば秀英高校2年時にその才能を開花させる。最速146キロを記録した剛速球を武器に、バッターを力でねじ伏せる投球術を身に付けたのだ。甲子園出場こそ叶わなかったものの、2年生の秋以降、58回を投げて60個の三振を奪い、「茨城のドクターK」という愛称をつけられた。そして2010年のドラフト4位でオリックス・バファローズに入団する。
1年目は2軍のウエスタンリーグで徹底的に鍛え上げられ、2年目に1軍デビューを果たした。春先から1軍に帯同し、4月に救援投手としてデビューする。この年は先発3試合を含む16試合に登板、1勝1敗2ホールドの成績を残したが、シーズン途中で右肘の故障が判明。手術に踏み切り、以降2年間を棒に振ってしまう。

復帰後の驚くべき活躍と、積極的に行っている社会貢献活動

2015年、ようやく体調が整い久々に1軍に復帰登板を果たした塚原投手は、それまでのケガがウソだったかのように大車輪の活躍を見せる。中継ぎ専門投手として41試合に登板、チーム2位の13ホールドを記録した。翌年もさらに登板機会が増え、セットアッパーとして54試合に登板、オリックス投手陣の貴重な戦力として活躍しているのだ。
そんな塚原投手だが、地元への感謝の気持ちも忘れていない。2016年には他のプロ野球選手とともに、地元の茨城県でチャリティー野球教室を開催。投手としての基本的動作を子どもたちに懇切丁寧に指導し、自らの体験談も交えて野球のイロハを教え込んだ。

勝利の方程式の一翼を担う!須田幸太投手

石岡市出身の須田幸太投手は、小学校1年生の時に野球を始め、6年生の時には内野手として関東大会に出場するなど経験が豊富だった。中学時代に投手に転向、土浦湖北高校に進学すると1年時には早くもエースの座をつかみ、翌年には秋の大会で優勝を飾る。3年時にはエースで4番として甲子園春のセンバツに出場するものの初戦で敗退した。
卒業後、早稲田大学に進学すると、3年春にブレークする。当時絶対的エースだった、甲子園でも大活躍した斉藤佑樹投手と先発の2本柱として活躍し、春のリーグ戦優勝に貢献した。その後、社会人に進んだ後、2010年のドラフト1位で横浜ベイスターズに入団する。

紆余曲折のプロ入り後の活躍と地元での社会貢献活動

ルーキーイヤーから17試合に先発登板するなど、チームの期待も高かった須田投手だが、それ以降は不調が続き低迷する。先発から中継ぎへの配置転換もなされた中、プロ6年目に大変身を遂げた。チームが勝ちパターンに持ち込む時の、貴重な中継ぎ投手としての地位を確立。チーム最多の62試合に登板し、23ホールドを記録して、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に貢献した。
そんな須田投手だが、出生地の茨城県では積極的な社会貢献活動をするプロ野球選手として有名だ。地元石岡市のふるさと大使に任命され、さまざまなPR活動を行っているほか、野球教室も頻繁に開催し、子どもたちと野球を通して触れ合っている。

まとめ

以上見てきたように、茨城県出身のプロ野球選手は、引退した選手のみならず、現役の選手でも計り知れないポテンシャルを持っている。 彼らの今後の活躍を見守りながらプロ野球を見れば、2倍にも3倍にも面白く感じられることだろう。