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一本足打法を生んだ名伯楽・荒川博コーチ【球史に名を残した偉人達】

2017 8/3 12:07cut
野球ボールとバット
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王貞治選手との出会いは偶然

現役時代に毎日(大毎)オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)で9年間にわたりプレーし、現役引退後は読売ジャイアンツのコーチ、ヤクルトスワローズの監督を務めた荒川博氏。現役時代にタイトルの獲得はなく、目立った実績と言えばルーキーイヤー(1953年)のオールスター出場のみだった。

しかし、荒川氏は野球界に大きな影響を与えた1人として球史に名を刻んでいる。それは王貞治選手を指導し、世界の本塁打王へと育て上げた人物だからに他ならないからである。

荒川選手が1年目のオフとなる1953年11月下旬に2人は偶然巡り会った。墨田公園少年野球場でプレーしていた王選手に荒川選手が声をかけたのだ。王選手は他の選手達に比べてひときわ大きく目立った存在だったという。

この際に荒川選手は王選手に「今何年生だ?」と問いかけると「2年生です」と王選手は返答する。荒川選手は王選手が高校2年生と思い、自身の母校でもあった早稲田大学への進学を勧めた。しかし、王選手は実際には中学2年生だったという逸話もある。それほどまでに王選手の体躯は既に大きかったのだ。

その王選手に「左利きなんだから左で打った方がいいよ」とアドバイスしたのだ。当時、右打ちで打撃を行っていた王選手は、そのアドバイスを聞き入れ、左打席に入ると二塁打を放ち、感激を覚えたという。

巨人のコーチとして王と再会

荒川選手は1961年に現役を引退。翌1960年から巨人の打撃コーチに就任する。巨人の川上哲治監督は潜在能力は高いながらも、結果を残せないでいた王選手を荒川コーチに託すことを決めたのだ。荒川コーチは現役時代にチームメートであった榎本喜八選手を開花させた実績があり、その手腕を川上監督は評価していた。

川上監督は王選手を3割、25本塁打を打てる素質があると見込んでおり精神面の強化を特に荒川コーチに依頼していた。王選手は素質がありながらも結果が出ず、自信をなくしていた。自信が持てず練習にも身が入らないという悪循環に陥っていた。その原因となっている精神面の強化が必要と考えられていたのだ。

1961年の秋季キャンプでプロ入り後、王選手を初めて指導した荒川コーチは「野球が下手になったな」と語ったという。しかし、「それにも関わらず打率.270打てるのだから素質はある」と続けていた。

1961年シーズンまで17本塁打がキャリアハイとなっていた王選手が開花するのは、荒川コーチが巨人へやってきた1962年シーズンのことだ。

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