ケガに悩まされながらもチームの柱となった和田毅選手|【SPAIA】スパイア

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ケガに悩まされながらもチームの柱となった和田毅選手


浜田高校時代に2年連続甲子園出場

福岡ソフトバンクホークスの和田毅選手は「松坂世代」として甲子園での戦いを経験し、大学野球では史上初の記録を打ち立てた。プロ入り後も活躍しメジャーリーグ移籍も経験している。しかし順風満帆の野球人生とは言いがたく、アメリカではヒジの故障で悩まされるなど、悔しい思いを多々乗り越えてきた。
野球ファンにとって「松坂世代」と言えば、1998年の高校野球を賑わせた1980年生まれ世代プレーヤーたちである。当時「平成の怪物」と評された松坂大輔選手をはじめとして、村田修一選手(巨人)、杉内俊哉選手(巨人)、館山昌平選手(ヤクルト)、久保康友選手(DeNA)、藤川球児選手(阪神)など2017年現在も現役で活躍している選手も多い。
松坂選手が春夏連覇を成し遂げた1998年夏の甲子園で、和田選手は浜田高校の一員として出場。ベスト8の結果を残した。しかし、本人は「(松坂)ダイスケもスギ(杉内)も雲の上の存在だった」と語っている。和田選手は高校時代、自分がプロに行くとは思っておらず、松坂選手との記念撮影の行列に並ぶような高校生だったという。

早稲田大学では476奪三振の六大学記録

和田選手は松坂選手と異なり、大学進学を選択し早稲田大学へと進む。大学では投球フォームを徹底的に見直し、その左腕から三振の山を築く。
高校時代には常時120キロ台だったスピードが140キロを超えるまでになった。トレーナーと二人三脚でどうやったら早い球を投げられるか考えたそうだ。「ドクターK」(Kは三振のこと)の異名を持ち、東京六大学野球では江川卓氏の記録を塗り替え476奪三振を達成した。
この記録はいまだ破られていない(2017年6月現在)。東京六大学春夏連覇、リーグ通算防御率1.35と驚異的な数字で、一躍、各球団のドラフトの注目選手となった。
高校時代から大学時代の飛躍の源はランニングと語る和田選手。ランニングの質も量も上がり、「人生で一番走った4年間だった」と語るほどで、プロに入ってからのスタミナの原型にもなっているという。

ダイエーのエースとして

2002年のドラフトで、和田選手は福岡ダイエーホークスへ自由獲得枠で入団。松坂世代が大学生となったこの年のドラフトで和田選手は「主役」級の扱いを受けていた。東京六大学最多奪三振という記録が影響するところは大きく、すでに入団していた松坂世代の杉内選手と共に、ダイエーの若手エースとして期待された。
2003年シーズンは、ルーキーながらダイエーのローテーションの一角を任され、この年チームは日本一になった。和田選手は勝ち星を重ね14勝(5敗)、防御率3.38と大きく貢献し、新人王のタイトルを獲得する。
その後も5年連続で二桁勝利など結果を残すと、2004年はアテネ五輪の日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献した。
プライベートでは2005年に女優の仲根かすみさんと結婚し、その翌年には長女が誕生している。2007年のオフに遊離軟骨除去手術を受け、2009年シーズン中にはヒジの炎症で長期離脱とケガがありながらも、実績を積み上げていく。
2010年には16勝をあげ最多勝のタイトルを獲得。この年チームはリーグ優勝を果たし、翌2011年は日本一に返り咲いた。2011年は16勝をあげ、防御率1.51と結果を残し、メジャー球団からも評価されることになる。
そして2011年オフに海外FA権を行使して渡米を選択した。

ケガとの戦いが続いたアメリカ時代

メジャーリーグへの移籍は「大学時代からの夢だった」と語る和田選手は海外FA権を行使し、ボルチモア・オリオールズと2年総額815万ドルの契約を結んだ。
1年目のシーズン直前に左ヒジの故障が見つかったため、腱を再生する「トミー・ジョン手術」を受け、長いリハビリ生活となる。この手術はメジャーのピッチャーの間ではよく行われる手術で、松坂選手も受けている。アメリカで和田選手はプライベートで食事などをしながら、松坂選手に手術後のリハビリや投げ始めるタイミングなどを詳しく相談したという。
和田選手は、そのままオリオールズのマウンドに上がることはなく2年契約が満了と同時に自由契約となる。そのオフシーズンにシカゴ・カブスとマイナー契約を締結した。
この時、和田選手はマイナー契約の厳しさを学び、過酷さやマイナー選手のハングリーさを肌で感じることができたという。その経験は野球人生のみならず、その後の人生にとっても大きなものとなった。マイナーから昇格することはできたものの、カブスのメジャーでは21試合登板、5勝5敗と大きな実績を残せないまま、2015年オフに再び自由契約となった。
「アメリカの生活では察する文化がないと感じた」という和田選手。日本では「忖度」(他人の心をおしはかること)の文化があるが、アメリカでは積極的に言葉で伝えていかなければ、評価につながっていかない。それに気づいてから、思ったことは積極的に言葉で伝えるようになった、とアメリカ生活を振り返っている。

ソフトバンクに復帰し最多勝を獲得

カブスから自由契約となった和田選手は、2016年シーズンからソフトバンクと再び契約した。他球団やメジャーのチームからもオファーがあったとされるが、とくにマネーゲームに持ち込むことはなくソフトバンク復帰を決めた。ソフトバンクでは、高校時代のスターであり、アメリカでは良き理解者となってくれた松坂選手と同じユニフォームを着ることになった。
甲子園出場から18年目にして、当時のスーパースターとチームメイトとなったのだ。
そして和田選手はこの年、15勝(5敗)をあげ最多勝、最高勝率のタイトルを得る活躍を見せた。アメリカに渡ったことで、ツーシームやカットボールなどいままで投げなかった球種もプラスされ、日本でのパフォーマンスにもつながったといえるだろう。シーズン終盤は故障もあり離脱したものの、クライマックスシリーズ進出へ大きく貢献している。
ケガに泣かされる野球人生ではあるが、その中でも努力を重ね、結果を残してきた姿に魅了されるファンは多い。自分なりのルールを決め、チャリティ活動にも参加するなど社会にも貢献してきた。体幹が重要だとし「走ることは自分の原点」と語る和田選手。
大学時代の徹底的な研究、努力、仲間との協力、そして故障から学んだものから、飛躍的な進化を遂げてきた。ベテランと呼ばれるようになっても、名左腕として球界をひた走り続けて欲しいものである。

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