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埼玉西武ライオンズの奇跡は、87年のあの走塁!

2017 7/10 10:25Mimu
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

埼玉西武ライオンズは1980年代に黄金期を築いていたので、劇的な優勝は多くない。 しかしそんな中、奇跡的なプレーとしていまだに語り継がれているものがある。 そのプレーは1987年の日本シリーズで起こった。

80年代は黄金期だった西武ライオンズ

1980年代~90年代の西武ライオンズは黄金時代だった。70年代こそBクラスを9度(うち最下位が6度)経験するなど、非常に低迷していたこともあったが、82年に広岡達郎氏が監督に就任すると、就任1年目で日本一を達成してしまう。そして83年も優勝し、連覇を達成。
監督が森祇晶(もりまさあき)氏に代わった後も、85~88年に4連覇、90年~94年に5連覇しており、まさにパリーグには敵なしという状態だった。
これ自体が奇跡的な成績かもしれないが、今回はその中でも87年の日本シリーズに起こった、いまだ語り継がれる奇跡的なプレーに注目していく。

巨人との死闘を繰り広げた日本シリーズ

1987年の日本シリーズは巨人が相手だった。当時の巨人は4番の原辰徳選手をはじめとして、首位打者・篠塚利夫選手や、絶好調男・中畑清選手、天才・吉村禎章選手に、巨人史上最高助っ人と名高いウォーレン・クロマティ選手など。投手陣にも桑田真澄選手や、槙原寛己選手、江川卓選手など、名投手揃いのチームだ。

シリーズが開幕すると、両者譲らず一進一退の攻防が続く。第1戦では中畑清選手が決勝ツーランを放って巨人が勝利したと思えば、2戦目で工藤公康選手が完封勝利を挙げ、西武が1つ返す。続く第3戦は西武の郭泰源選手が1失点に抑えると、打線が江川卓選手から2本塁打を放ち、2-1で勝利。しかし、第4戦では槙原寛己選手が西武打線を完封し、2勝2敗の五分に戻す。

第5戦では第1戦でKOされた東尾修選手が意地を見せ、3-1で勝利。先に王手をかけたのは西武だった。そして、いよいよ第6戦を迎える。

センター前ヒットで1塁ランナーが生還!?

第6戦、西武の先発は工藤公康選手。一方の巨人はこの年10勝を挙げていた水野雄仁選手が先発する。試合は緊迫したイニングが続き、7回を終わって2-1で西武がリードしているという状態。このまま西武が勝てば日本一だが、まだまだ何が起こるかわからない。西武としては、何とか追加点を取って、流れを一気に引き寄せたいところだ。

その追加点は意外な形で入った。8回裏、ツーアウトで走者なしという状況から、まず2番の辻発彦選手が出塁する。そして続く打者は3番の秋山幸二選手。放った打球はセンター前へ。1塁ランナーの辻選手はそのまま3塁へ向かう。普通なら1塁3塁になるところなのだが、なんと3塁コーチの伊原春樹選手は腕をぐるぐると回し、辻選手をホームに突入させるのだ。そしてそのままホームイン!センター前ヒットで1塁ランナーが生還してしまった。

コーチが見抜いた巨人守備陣の穴

実は、伊原コーチはこういった巨人の守備の甘さになんとか付け込めないかと、シリーズ前からずっと考えていた。そして、その中で注目したのが、巨人の「中継プレー」だ。
巨人の二遊間はセカンドに篠塚利夫選手、ショートに川相昌弘選手と穴らしい穴はなかった。しかし、センターのクロマティ選手は送球に難があり、緩慢なプレーをすることも目立っていた。加えて、中継プレーの際に、川相昌弘選手が1塁ランナーよりも打者走者を気にするというクセもあってか、センター前に打球が飛んだときは思い切って1塁ランナーをホームまで走らせようと計画していたそうだ。

実は2度行われていた奇跡の走塁

しかし、実はそれ以前のプレーでもこういった走塁が行われていた。同じ試合の2回裏、西武の攻撃。1死ながら2塁にランナーがいるという状態。ここでバッターのブコビッチ選手の打球はセンターの後方へと飛んでいく。巨人のセンター・クロマティ選手はこれを背走しながら捕球するが、体勢が悪くランナーはタッチアップで3塁を狙う。ここまでは普段の野球でもよく見る光景なのだが、この時も伊原コーチは腕をぐるぐる回し、2塁ランナーをそのままホームへ突入させたのだ。

虚を突かれた巨人の守備陣。クロマティ選手から中継のボールを受け取った篠塚和典選手は慌てて3塁に投げてしまうと、3塁の原辰徳選手も一度戻ってくる素振りを見せたランナーに惑わされ、ランナーにタッチをする体制でボールを受け取ってしまう。その結果、ホームへの送球が遅れ、2塁ランナーは間一髪で生還した。テレビなどで良く取り上げられるのは辻選手の走塁だが、実は奇跡の走塁は2度起きていたのだ。

まとめ

これで巨人は西武に苦手意識を持ったのか、1990年の日本シリーズで同じ組み合わせになったときは、巨人は4連敗を喫してしまった。 メンバーが変わりつつあった94年は巨人が日本一になったが、相手に3年後まで残るトラウマを植え付けてしまうとは、奇跡以上に価値のあるプレーだったのではないだろうか。