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パ・リーグから離れてもライバル選手なのは変わらない(2)

2017 7/10 10:25cut
野球ボール
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Photo by Sebastian Duda/Shutterstock.com

高校時代からプロ野球でもライバルとして戦い、パ・リーグから離れてもライバルとして意識しあっている選手がいる。 ダルビッシュ有選手(レンジャーズ)と涌井秀章選手(ロッテ)だ。2人はどのような関係なのだろうか?

メジャーのエースへ”ダルビッシュ有選手”

ダルビッシュ有選手は、東北高校時代から注目を集めており、ドラフト時にも大きな期待がかけられた。その期待通りに、ダルビッシュ選手は1年目の半ばからローテーションに定着。2年目となる2006年から日本最終年となる2011年まで6年連続で2ケタ勝利を達成し、ポスティング制度でメジャーリーグのテキサス・レンジャースに移籍した。

レンジャースでも初年度から16勝をマークし、3年連続の2ケタ勝利と結果を残している。2015年にトミー・ジョン手術を受けて全休し、2016年シーズン途中から復帰したダルビッシュ選手は、2017年シーズンに完全復活を狙う。

横浜高校のエースから西武、ロッテのエースへ”涌井秀章選手”

高校野球の名門、横浜高校のエースとして君臨していた涌井秀章選手は、2004年のドラフト1位指名で西武ライオンズに入団。2年目から2ケタ勝利を挙げる活躍を見せ、3年目には最多勝を獲得する。また、5年目となる2009年には沢村賞を受賞し、球界を代表する投手となった。

その後、チーム事情もあり、抑えも経験するなどした後、2013年オフにFA宣言でロッテへと移籍した。ロッテで初年度こそ8勝に終わり負け越すが、2015年、2016年と連続2ケタ勝利を挙げて復活を果たしている。

2人の甲子園での対戦はなし!

横浜高校出身の涌井選手と、東北高校出身のダルビッシュ選手は、同学年ということもあり、高校時代からお互いに認め合っていた。春夏の甲子園で、対戦のなかった2人だが、3年時に行われた秋の国体では決勝で対戦する。

ダルビッシュ選手は先発で登板しなかったものの、涌井選手は先発して東北高校を抑える。その後、ダルビッシュ選手は6回からマウンドに上がるが、四球、エラーなどで5失点と乱調。涌井選手に軍配が上がった。

プロでの投げ合いは?

プロ野球で、ダルビッシュ選手と涌井選手は6回の直接対決があった。最後の対戦となったのは、ダルビッシュ選手が海を渡る直前のシーズンでもある2011年のことだった。震災の影響で開幕がずれ込んだこの年は、開幕戦が4月12日となり、その試合で2人は投げ合ったのだ。

それまでの5試合ではダルビッシュ選手が3勝0敗と勝ち越していた。しかし、この一戦ではダルビッシュ選手が7回7失点と乱調。初めて涌井選手に白星がついたのだ。涌井選手にとって見ると「勝ち逃げは許さない」といったところだろうか。最後に一矢報いた形で2人の対戦は終わっている。

ライバルだけど仲がいい

ダルビッシュ選手と涌井選手は、日本代表を除いて同球団に所属したことはなく、常にライバルとして競い合っている。インタビューなどでライバル選手を聞かれると、お互いが名前を口にするほどの関係だ。メールなどでも頻繁に連絡を取っており、ダルビッシュ選手が日本にいた頃は電話でもやりとりをしていたとインタビューなどでも答えていた。

高校の同級生、先輩後輩でもない2人が、所属チームにかかわらずこのように連絡を取り合うのは、お互いを認め合っているからこそだろう。

まとめ

高校時代から続く2人のライバル関係は見ごたえがある。 今後、ダルビッシュ選手が日本に戻るか、涌井選手がメジャーに挑戦しないと2人の対戦は見ることができない。 引退するまでにもう一度投げ合いを見せてくれるのだろうか。