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パ・リーグから離れてもライバル関係は変わらない(1)

2017 7/10 10:25cut
バットと野球ボール
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Photo by sanjungtion/Shutterstock.com

松坂世代の杉内俊哉選手(巨人)と木佐貫洋選手(日本ハム他)は、高校時代のライバルでありながら、プロ野球ではライバルとして戦う機会が与えられなかった。しかし、パ・リーグを離れてから初対決を果たすことが出来た。2人はどのような戦いを行ったのだろうか?

巨人の18番!杉内俊哉選手とは?

杉内選手は鹿児島実業高校3年生の時に夏の甲子園に出場を果たす。初戦でノーヒットノーランの快挙を達成して、一躍注目を集めた。その後、社会人野球の三菱重工長崎に進み、2001年ドラフト会議でダイエーに3位で指名されてプロ入りを果たす。
プロ入り後はソフトバンク、巨人でエース級の活躍をして、両チームで日本一に貢献する。WBCでも第1回から第3回まで出場し、日本代表としてプレーした。2017年シーズンも巨人の18番としてプレーしている。

現在はスカウトに!木佐貫洋選手とは?

2002年に亜細亜大学から巨人へ入団した木佐貫選手は、初年度からローテーションに定着して10勝をマークし、新人王に輝く。2年目以降は故障もあり、満足な成績を残すことができなかったが、5年目の2007年に12勝を挙げて復活を果たす。
その後、トレードでオリックス、日本ハムへと移籍して2015年に現役を引退した。現役引退後は古巣である巨人に戻り、スカウトとして将来の巨人を担う選手を日々探し回っている。

エースとして投げ合った高校時代

杉内選手は鹿児島実業高校、木佐貫選手は川内(せんだい)高校と鹿児島県の高校野球で競い合っていた。2人が高校3年生だった1998年当時、鹿児島県の高校野球は鹿児島実業高校、樟南高校の2強状態が続いており、木佐貫選手の川内高校は毎年、苦しい戦いが続いていた。
そんな状況の中、3年生の春の県大会決勝で木佐貫選手は杉内選手に投げ勝ち、県大会優勝を飾る。しかし、春季大会は甲子園への切符とはならない。夏の甲子園予選で勝たなければならないのだ。
2人は夏の甲子園予選決勝でも再び投げ合う。この試合は杉内選手が投げ勝ち、3-1で鹿児島実業高校が勝利して甲子園への切符を手に入れた。木佐貫選手は引退後のインタビューで、この試合が一番悔しかったと答えている。

15年ぶりの投げ合いが実現

2013年5月20日、札幌ドームでの日本ハム対巨人の一戦で、杉内選手と木佐貫選手は先発として初めて投げ合う。2010年から木佐貫選手は杉内選手と同じパ・リーグへ移籍していたが、先発対決はなかった。1998年の鹿児島県大会決勝での投げ合いから15年越しの対決となったのだ。
試合は坂本勇人選手(巨人)の2ベースヒットで木佐貫選手は1点を失う。しかし、6回に陽岱鋼選手(現巨人)のタイムリーヒット、7回には大引啓次選手(現ヤクルト)の本塁打で2-1と逆転に成功する。
木佐貫選手は8回からマウンドをリリーフに託す。杉内選手は最後まで投げ抜くが、逆転はならず、日本ハムが2-1で巨人を下した。木佐貫選手は15年ぶりに杉内選手に投げ勝ったのだ。

松坂世代のライバルたち

杉内選手、木佐貫選手は1980年生まれの「松坂世代」だ。松坂大輔選手(ソフトバンク)を中心に多くの選手が甲子園、大学野球、社会人野球からプロに入ってしのぎを削っていた。
しかし、2017年で37歳となるこの松坂世代の選手たちは、すでに現役を引退している選手も多く、木佐貫選手も2015年に現役を退いている。杉内選手は、2016年に故障の影響もあって、プロ入り後初の一軍登板なしに終わっており、2017年は正念場となる。
現在も主軸として活躍する選手には、村田修一選手(巨人)、和田毅選手(ソフトバンク)らがいる。そんなライバルたちに負けじと、杉内選手にも復活が期待される。

まとめ

木佐貫選手、杉内選手は高校時代に戦ってから15年間、投げ合う機会もなく、リーグが離れてから投げ合うというのが面白く、運命的だ。 木佐貫選手は引退して巨人のスカウトになり、初めて杉内選手と同僚になった。 巨人には松坂世代として村田選手もレギュラーとして在籍している。松坂世代の共闘に注目したい。

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