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日本サッカー界にも貢献した吉田義男氏【球史に名を残した偉人達】

2017 6/30 12:56cut
グローブとボール
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日米野球でメジャーからも賞賛を浴びた華麗な守備

「牛若丸」の異名を取り守備の名手であった吉田選手。現役当時にゴールデングラブ賞(ダイヤモンドグラブ賞)に相当するタイトルはなく一目で分かるものがない。しかし、打率3割を1度しかマークしていないにもかかわらずベストナインを9度獲得していることから守備での貢献度が高かったことがよく分かる。

吉田選手が守っていた遊撃手だけでなく捕手に関しても、打撃が突出している選手がいない場合は守備の印象が強かった「名手」にベストナインが送られていたのだ。

また、入団3年目に当たる1955年のオフに行われた日米野球ではニューヨーク・ヤンキースと対戦。日本代表はヤンキースに対し1勝もできず15敗1分と完膚なきままにたたきのめされた。

しかし、ヤンキースの選手による投票で吉田選手が「日本の傑出した選手」に選ばれたのだ。その評価は打撃面ではなくやはり守備だった。ヤンキースを率いていたケーシー・ステンゲル監督は「吉田の守備はメジャーリーグでも通用する」とコメントしメジャー級のお墨付きを貰っていた。

「縦縞を横縞に変えてでも」

1996年11月、西武ライオンズの主砲であり甲子園からスター街道を歩んできた清原和博選手がFA宣言を行った。清原選手は西武から巨人移籍を考えての権利行使というのが大方の予想であったが、そこに阪神タイガースが名乗りを上げ争奪戦に加わったのだ。

巨人との交渉後に阪神は吉田監督、三好一彦球団社長が清原選手と面談。その席で吉田監督は「阪神の縦縞を横縞に変えてでも君が欲しい」と清原選手を口説きに掛かった。この言葉に清原選手も「阪神の熱意で汗が出てきた」とインタビューで語っている。

阪神の伝統である縦縞のユニフォームを監督の一存で変更できるわけではない。しかし、交渉の席でその言葉を口にするほど吉田監督は清原選手を買っていた。

結果として清原選手は巨人を選び阪神に入団することはなかった。当然、吉田監督の下でプレーすることはなかったがこの言葉は後世に語り継がれている明言である。

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