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松井秀喜選手の日本時代を振り返る【球史に名を残した偉人達】

2017 6/30 12:56cut
松井秀喜
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社会的現象にもなった5打席連続敬遠

高校野球ファン、野球ファンは甲子園初出場時から超高校級スラッガーとして星稜高校・松井秀喜選手の存在を認識していただろう。しかし、松井選手が全国的に名前が知られるようになったのは「5打席連続敬遠」だ。社会的現象として取り上げられたこの一件以降、対戦相手だった明徳義塾高校、馬淵史郎監督は「ヒール」の印象がつきまとうことになる。

この出来事があったのは1992年夏の甲子園2回戦だった。

4番・三塁で出場した松井選手は初回2死三塁で最初の打席を迎える。ここは、三塁に走者がいる場面ということもあり四球。この場面では観客含めて敬遠を予想できたことで、大きな騒動にはなっていない。

2打席目の3回1死二、三塁でも当然のように四球。この場面も通常敬遠策を用いられることが多いために星稜ベンチも慌てることはなく山下智茂監督も予想していたという。

しかし、1死一塁の第3打席、2死走者なしの第4打席と本来、敬遠を選択することはない場面で四球を与えスタンドがざわつき始める。このときグラウンド内にはものが投げ入れられ、怒号が飛び高校野球の雰囲気とは思えない異様さが漂っていた。

迎えた9回2死三塁の第5打席でも四球となり、松井選手は一度もバットを振ることなく試合に敗れている。

明徳義塾が松井選手に与えたのは意図的な四球であり敬遠と表現されるが、捕手が初めから立っていないため記録上は四球となっている。

明徳義塾は以降、罵声を浴びせられることも多く大きな禍根を残したといえるだろう。

4球団競合の末に巨人入り

甲子園で「5打席連続敬遠」をなど伝説を作った松井選手はドラフトの目玉となっていた。松井選手は読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、福岡ダイエーホークスが希望球団として見られていた。特に憧れでもあった掛布雅之選手の在籍していた阪神には強い思いを持っていたとも語っている。
運命のドラフト会議で松井選手は希望する4球団から1位指名を受け抽選の結果、長嶋茂雄監督がくじを引いた巨人が交渉権を獲得する。このドラフトで松井選手の他に1位重複したのは伊藤智仁選手(三菱自動車東京都)だった。その、伊藤選手は1年目から新人王を獲得する活躍をみせ即戦力としての力を発揮している。
松井選手は高卒1年目ながらオープン戦で一軍帯同を果たしたものの結果を残すことはできず、開幕一軍とはならなかった。
春先に二軍で結果を残しシーズン序盤に一軍初出場を果たすと57試合に出場。打率.223、11本塁打、27打点の成績を残している。この活躍もあり2年目は開幕一軍を勝ち取ると全130試合に出場し大打者への道を歩んでいくことになる。

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