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やはり凄い!江夏豊選手のエピソードは?【球史に名を残した偉人達】

2017 6/30 12:56cut
ボールとベース
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Photo by David Lee/Shutterstock.com

藤本監督も怒った!オールスター3連投

1966年のドラフト1位で阪神に入団した江夏豊選手は、オールスター前に7勝を挙げる活躍をみせ、高卒1年目にしてオールスターゲームに出場。
このオールスターゲームの指揮を執るのは読売ジャイアンツの川上哲治監督だった。川上監督は江夏選手をオールスター3試合全てに登板させる采配を見せる。この采配に江夏選手自身は満足していたが、当時、阪神の監督であった藤本定義監督は激怒した。藤本監督は東京巨人軍初代監督であり、巨人の監督時代に入団してきたのが川上監督だった。この川上監督に対し、その後行われた阪神対巨人戦にて、藤本監督は怒鳴り説教をしている。
江夏選手が阪神に入団した際の藤本監督は60歳を超えており、非常に丸くなっていたとされるが、この一件で江夏選手は「藤本監督のかつての一面を見た」と後に語っている。このことは、藤本監督の江夏選手に対する愛情、反面、川上監督が当時新人の江夏選手を恐れていたということを垣間見ることができるエピソードだ。

記録の三振を王貞治選手から奪う!

1年目にエースへの階段を登りはじめた江夏選手は、2年目に2016年終了現在でも破られていない不滅の記録を達成した。シーズン401奪三振だ。1968年当時のシーズン最多奪三振記録は「神様、仏様、稲尾様」でおなじみの稲尾和久選手が1961年に達成した353奪三振だった。この年の稲尾選手は不滅の記録である42勝とともにマークしており、シーズン最多勝とシーズン最多奪三振を同時に更新していたのだ。

その353奪三振を江夏選手はシーズンを半月以上残している9月17日に更新した。その試合で更新できることを感じていた江夏選手は、新記録を王貞治選手から奪うことを考えていたのだ。しかし、自身の勘違いにより記録更新となる354個目ではなく353個目を王選手から奪ってしまい、もう一巡をあえて三振を奪わずに凡打で切り抜けることを決断する。

次打者以降を全て凡打できり抜け、再び回ってきた王選手との打席で354個目の三振を奪い新記録を達成する。高卒2年目の20歳がここまで考え実行し実現させたのである。尚、この試合は0-0のまま延長戦に入り、江夏選手自身がサヨナラ適時打を放ち勝利を収めた。

記録更新後にも江夏選手は登板を続け最終的に401奪三振を達成。メジャーリーグでは1900年以降で400奪三振を達成した選手はいない。1973年のノーラン・ライアン選手(アストロズ)が記録した383奪三振が最多記録となっている。

オールスターにおける9者連続三振

江夏選手の残した記録は様々であるが、毎年7月のオールスターで取り上げられる話題がある。1971年のオールスターで達成された9者連続奪三振だ。オールスターゲームでは1人の投手が投げることのできるイニング数は3回となっているために最高記録となっている。(振り逃げが達成されればその限りではない)

この年の江夏選手は前半戦に不調もあり、6勝9敗と3つの借金があったもののファン投票で選出された。また、捕手として選ばれた田淵幸一選手は、病気の影響で前半戦で捕手としての出場は少なく、江夏選手とバッテリーを組んだことはなかった。この年、初めてバッテリーを組んだのがオールスターゲームだったのだ。

第1戦の先発投手としてマウンドに登った江夏選手は、有藤通世選手、基満男選手、長池徳二選手を三者連続空振り三振で仕留める絶好の出だしとなった。2回は江藤慎一選手、土井正博選手から空振り三振を奪い5者連続三振。6人目の打者である東田正義選手からは初めての見逃し三振を奪い6者連続となった。

場内が緊張感に包まれる中で3回のマウンドに登った江夏選手。

3回は阪本敏三選手を見逃し三振に仕留め、岡村浩二選手から空振り三振を奪う。9人目の打者となる加藤秀司選手にはカウント1ストライク1ボールからの3球目を捕手後方への飛球を打ち上げられた。その瞬間、江夏選手は「追うな」と捕手の田淵選手に叫んでいる。ペナントレースでは許されないがここはオールスターだ。追い込んだ江夏選手は加藤選手に対しストレートを投げ込み空振りを奪う。その瞬間に9者連続奪三振が達成されたのだ。

これ以降、9者連続奪三振は生まれておらず史上唯一の記録となっている。

江夏の21球

江夏選手のエピソードで欠かせないものに「江夏の21球」がある。これは、1979年日本シリーズ広島東洋カープ対近鉄バファローズの第7戦9回裏に起こったドラマだ。
3勝3敗で迎えたこの試合。4-3と広島がリードで運命の9回裏を迎え、広島はマウンドに守護神の江夏選手を送る。江夏選手は先頭打者の羽田耕一選手に安打を打たれ無死一塁。続くクリス・アーノルド選手の投球中に羽田選手が盗塁。その際の送球がそれ、羽田選手は三塁まで進塁。アーノルド選手には四球を許し無死一、三塁。続く平野光泰選手の打席中にアーノルド選手の代走で出場した吹石徳一選手が二盗を決め無死二、三塁となる。ここで平野選手を敬遠し無死満塁。
絶体絶命のピンチを招いた江夏選手ではあったが、落ち着きを失うことはなかった。代打の佐々木恭介選手から空振り三振を奪い一死を奪う。続く石渡茂選手のスクイズを外し、三塁走者を水沼四郎選手がタッチしアウトとする。最後は石渡選手を空振り三振に仕留め試合終了となった。
この際に江夏選手が投じた球数21球は、後に山際淳司氏の小説「江夏の21球」として多くの野球ファンに届けられている。

通算2987奪三振は日本のみで更新は不可能?

江夏選手は401奪三振というシーズン最多記録を樹立しているが、通算2987奪三振(1位は金田正一選手の4490奪三振)も2016年終了現在で歴代5位(日米通算記録を含めると6位)の記録となっている。
早期更新の可能性が見込めるのは日米通算となるがダルビッシュ有選手(レンジャーズ)だろう。2016年終了現在で2062奪三振となっており、江夏選手まで925個となる。1986年生まれのダルビッシュ選手は今シーズンで31歳。2013年に277奪三振で最多奪三振を記録するなど三振を奪う能力もあり、若い。
江夏選手の記録を抜くことも十分に可能だろう。
しかし、日本球界に範囲を狭めると最も多くの三振を奪っているのが杉内俊哉選手が2156個。1980年生まれの杉内選手は今シーズンが37歳のシーズンだ。江夏選手に追いつくまでに831奪三振が必要となり、更新は現実的ではなさそうだ。
昨今はメジャーリーグ挑戦が当たり前となったために、江夏選手の記録を日本球界のみで上回るのは難しそうだ。