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プロ野球史上最高の抑えとして君臨する岩瀬仁紀選手

2017 6/30 12:56cut
野球ボール
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1年目から好成績を残すも新人王は逃す

岩瀬仁紀(ひとき)選手は1998年のドラフト会議で中日ドラゴンズへ逆指名の上で2位指名され入団。この年のドラフト1位は福留孝介選手(日本生命)だった。3位に小笠原孝選手(明治大学)、4位に蔵本英智選手(名城大学)と中日の黄金時代を築く選手達が多く入団した年でもある。また、松坂大輔選手(横浜高)がこの年の目玉であり3球団競合の末に西武ライオンズが交渉権を獲得している。
愛知県生まれでもあり、愛知県立西尾東高校、愛知大学、NTT東海と常に愛知県でプレーを行ってきた岩瀬選手にとって愛知県唯一のプロ野球チームである中日でプレーするのは必然だったのかも知れない。
岩瀬選手は1年目からセ・リーグ最多となる65試合に中継ぎ登板し10勝2敗、1セーブの成績を残し最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。例年であれば新人王を受賞しても恥ずかしくない成績ではあったが上原浩治選手(巨人)が新人ながら20勝4敗、防御率2.09と圧倒的な成績を残したことで受賞できなかった。
ルーキーイヤーはわずか1セーブ、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得していることからもわかるように抑えを任されていた訳ではなかった。岩瀬選手が抑えに定着したのは2004年のシーズンからだ。

2005年には日本記録のシーズン46セーブを達成

1999年のデビューから2003年までの5年間はセットアッパーとして登板してきた岩瀬選手。落合博満監督が就任した2004年から抑えを任されることになる。この年、キャンプ前のケガもあり本調子ではないまま開幕を迎えたが、60試合で22セーブをマークし「落合中日」初年度の優勝に大きく貢献した。
日本シリーズで中日は西武ライオンズに3勝4敗で敗退したものの岩瀬選手は5試合に登板。5.1回を投げ無失点、被安打3、与四球0、奪三振5、防御率0.00と西武打線を完璧に封じ込める快投を演じている。
翌2005年は自身初となる2年連続の60試合登板を果たし日本記録となる1シーズン46セーブをマーク。球界を代表する抑え投手として君臨する。この46セーブは2007年に阪神タイガースの藤川球児選手が並んだものの抜かれはせずに、タイ記録として2016年終了時点でもプロ野球史に残っている大記録だ。
また、この年の岩瀬選手は生涯で唯一の被本塁打0となっている。(登板のなかった2015年を除く)

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