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エースからクローザーへ転向も再びエースとなった涌井秀章選手

2017 6/30 12:56cut
ピッチャー
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松坂二世と呼ばれた横浜高校時代

神奈川県の名門である横浜高校出身の涌井秀章選手。一学年上には成瀬善久選手(現ヤクルト)、荒波翔選手(現DeNA)、同学年には石川雄洋選手(現DeNA)がおり甲子園にも2度出場を果たしている。
初めての甲子園となった2003年春のセンバツである。この大会はエースが成瀬選手、2番手が涌井選手だった。リリーフ投手として成瀬選手の後を受け継ぎ準決勝までに3試合へ登板。6.1回を投げ無失点4奪三振の好投を見せた。
広陵との決勝戦では成瀬選手にかわり先発のマウンドに登った涌井選手だが、上本博紀選手(現阪神)、白濱裕太選手(現広島)らを擁する広陵打線に捕まり4回途中6失点を喫しマウンドを降りた。この試合、横浜は3-15と大敗を喫し紫紺の大優勝旗を手にすることはできなかったのだ。
2度目の甲子園となった2004年夏の選手権はエースナンバー「1」を背負い奮闘する。準々決勝で敗退するが、36回を投げ13失点、40奪三振を奪いエースとしての責務を果たす。また、横浜高校出身の本格派右腕ということで「松坂二世」とも呼ばれた。
甲子園での活躍もあり、プロからも注目を浴びていた涌井選手は、プロ志望届を出しドラフト会議の時を待つ。

ドラフト1位で入団するもプロの洗礼を浴びる

涌井選手がドラフト指名を待っていた2004年のドラフト会議。自由獲得枠があったことからこの年のドラフトは穏やかな年となった。自由獲得枠ではオリックスが金子千尋選手(トヨタ自動車)、阪神タイガースが能見篤史選手(大阪ガス)と2017年現在も主力として活躍している選手達が入団している。
涌井選手は西武の1巡目で単独指名され入団した。また、高校生の目玉であったダルビッシュ有選手(現レンジャーズ)は北海道日本ハムファイターズが一本釣りに成功。球史に残る選手を単独で指名した形となった。
涌井選手は高卒新人ながら開幕一軍を手にし開幕2カード目の初戦に初先発するが、3回途中7失点でノックアウトされプロの洗礼を浴びた。4月に一度登録抹消をされたものの5月に復帰を果たす。この年から始まった交流戦の東京ヤクルトスワローズ戦で6回1失点と好投を見せプロ初勝利を収め、その後も7月末までローテーションを守った。
しかし、ヤクルト戦以降に勝ち星を挙げることはできず1年目は1勝6敗、防御率7.32の成績に終わっている。西武のエースになる涌井選手も1年目はプロの壁にぶち当たっていた。

2年目以降に飛躍を遂げ沢村賞投手に

1年目は不本意な成績に終わった涌井選手だが、以降は順調にエースへの階段を上っていく。2年目に初の二桁勝利となる12勝を記録し、3年目の2007年には17勝10敗、213回を投げ141奪三振、防御率2.71の成績を残し初のタイトルとなる最多勝を獲得した。分業制が進んだ現代プロ野球界の中では珍しく二桁完投となる11完投をマークするものの、リーグトップではなくダルビッシュ選手の12完投には及ばなかった。
2009年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出され3試合に登板し、防御率2.70をマークし優勝に貢献した。その勢いでシーズンに入り16勝6敗、211.2回を投げ199奪三振、防御率2.30、11完投(4完封)の堂々たる数字を残し最多勝を獲得した。また、同時に沢村賞も受賞し、名実ともに球界のエースへと成長していった。
この年は終盤まで東北楽天ゴールデンイーグルスとクライマックスシリーズを争っていた。大事な局面である8月後半からに楽天の岩隈久志選手(現マリナーズ)と2週連続で投げ合ったエース対決は1勝1敗となったが見るものを魅了した。勝敗以上の熱さを感じさせてくれた一戦であった。
2年目から大きな故障も無くローテーションを回り続けた涌井選手は、2009年の沢村賞を受賞後も2011年まで先発としてチームを支えてきた。その涌井選手に転機が訪れたのは2012年のことだった。

エースからクローザーへ

2012年も今までの実績から開幕投手を務めた涌井選手だったが、その開幕戦で4回6失点とノックアウトしてしまう。以降も勝ち星を挙げることができずに登録を抹消された。ゴールデンウィークに一軍に戻ってきたものの、役割はクローザーへと変わっていた。先発から外れクローザーを任される存在となり、女性問題で謹慎期間があったものの、涌井選手は年間を通じて55試合に登板し1勝5敗30セーブ、3ホールド、防御率3.71をマークした。
この活躍でリリーフの適性があることも示していた。翌2013年は再び先発に戻り開幕から3連勝するが、以降は打ち込まれることも多く、5月半ばの交流戦で3回6失点とノックアウトされ、前年同様にリリーフへと配置転換となった。その後も起用法は一貫せず先発、中継ぎを繰り返しながら終盤はクローザーとなった。
しかし、9月25日の楽天戦から10試合連続登板を果たすなど、先発でのタフネスぶりを中継ぎでも発揮する。また、10月1日から10月6日まで6日間連続セーブの日本記録タイを達成した。この年、涌井援手は45試合に登板し5勝7敗7セーブ13ホールド、防御率3.90の成績を残している。これが西武での最後のシーズンとなった。
シーズン終了後に涌井選手は国内FA宣言を公使し、千葉ロッテマリーンズへと移籍することになる。

個人のタイトルとチームの順位

ロッテに移籍した涌井選手は西武時代にも監督、選手として仕えていた伊東勤監督のもとで再び先発を任されることになる。また、横浜高校での先輩後輩関係であった成瀬選手と再びチームメートとなった。
移籍1年目は8勝12敗、防御率4.21と、もの足りない成績ではあったが、2年目となる2015年は15勝9敗、防御率3.39の成績で最多勝を獲得する。
この年の最終戦となった楽天戦で志願の登板を果たし、涌井援手は延長10回を投げきり137球を投げ勝利投手になる。これで最多勝を獲得したが、クライマックスシリーズのローテーションに狂いが生じ、ファイナルステージで投げることが無く敗退した。これにより「個人のタイトルとチームの順位」のどちらが重いのか?といった議論を巻き起こした。
2016年シーズンも2年連続二桁勝利となる10勝を達成した後、シーズンオフには再び複数年契約を結び、2017年シーズンもロッテでプレーしている。エースとしてチームを支えているのだ。

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