「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

日本ハム・近藤健介は打てるキャッチャーになることができるか!?

2017 6/30 12:56Mimu
キャッチャー
このエントリーをはてなブックマークに追加

2017年は絶好調の近藤健介!いつか打てる捕手へと成長できるか!?

日本ハムの若きヒットメーカー、近藤健介選手。日本ハムといえば、中田翔選手や大谷翔平選手、若手では西川遥輝選手などが注目されがちだが、近藤選手もかなりの実力を持った選手である。高い打率を残せるアベレージヒッターで、173cmと小柄ながら2塁打などの長打が多い。2015年シーズンはパリーグ3位となる打率.326に、同4位となる33本の2塁打を放った。選球眼も良く三振も少ないので、相手選手からすれば、できれば避けたい選手だろう。
2016年シーズンは不調だったが、2017年シーズンは絶好調で、4月終わり時点でも打率4割以上をキープ。首位打者争いを独走している。持ち前の2塁打や四球数もかなりの数を重ねており、完璧な滑り出しだ。ライトの守備はもちろん、サードを守らせても上手い器用な選手だが、もとはキャッチャーとして入団した近藤選手は、本人としてもキャッチャーへのこだわりが強い。そんな近藤選手は、打てるキャッチャーになれるのだろうか?

ライバルは日本代表捕手

近藤選手が捕手として活躍するために、ライバルとなるのはやはり大野翔太選手、そして市川友也選手だろう。近藤選手が一軍に定着した2014年以降の捕手としての出場試合数を見てみると、

近藤健介:75試合(2014年16試合 2015年58試合 2016年1試合)
大野奨太:286試合(2014年104試合 2015年72試合 2016年108試合)
市川友也:115試合(2014年69試合 2015年43試合 2016年70試合)

大野選手と市川選手は捕手以外で出場することはほとんどないが、近藤選手の場合は2014年は89試合、2015年は129試合、2016年も80試合にトータルでの出場しており、キャッチャー以外での出場の方がメインになってしまっているというのが現状だ。

キャッチング・リード・肩、すべてがそろったキャッチャーがライバル

特に大野選手の存在は、正捕手獲得の大きな壁になるだろう。大野選手といえば、2017年のWBC日本代表にも選ばれているように、パリーグを代表するキャッチャーだ。代表戦では出場機会こそ少なかったものの、鶴岡慎也選手がホークスへ移籍して以降、日本ハムの正捕手といえば彼だ。
そして大野選手は、やはり捕手としての総合力がかなり高い。特に捕球のうまさというのは、素人目に見てもかなりハイレベルなことがわかる。ボールがまるでミットに吸い込まれていくように、きれいに捕球するのだ。他の捕手ではミットがぶれてしまうとも多いのだが、大野選手のミットは一切ぶれず、ぴたっとボールがミットに収まっていく。
盗塁阻止に関しても非常に素晴らしく、2013年にはパリーグ1位の盗塁阻止率.421も記録した。もちろん元々の肩の強さもあるのだが、やはり捕球が上手いというのが送球にも好影響を与えているのだろう。取ってから投げるまでが非常にスムーズであるため、送球も良い球になりやすいのだ。そしてもちろん、リード面でも評価は高い。
近藤選手が正捕手を奪うためには、この日本を代表する捕手を越えなければならない。さらに大野選手にハプニングがあったとしても、市川選手が2番手としてドッシリと座っている。近藤選手が捕手として優先されて起用されること自体が、かなり難しい状況なのだ。それが日本ハムの強さでもあるのだが、近藤選手にとっては複雑で決して簡単な道のりではないだろう。

横浜高校からドラフトで入団!1年目から一軍で経験を積む

近藤選手のここまでの経歴などを振り返ってみよう。
近藤選手は横浜高校から、2011年のドラフト4位で北海道日本ハムファイターズへと入団した。高校に入学した当初はショートだったが、1年生の秋から肩の強さを買われてキャッチャーへとコンバートされた。甲子園には3年の春夏と2度出場。高校日本代表としてAAAアジア野球選手権大会にも出場している。
高校通算で35本のホームランを放った打撃力はもちろん、捕手としての動きも高く評価されており、総合力に優れたキャッチャーであったのだ。ちなみに同期の乙坂智選手も、同年のドラフトで横浜DeNAベイスターズに5位指名を受けて入団している。
プロ入り後も、まずはキャッチャーとして期待されていた。2軍ではチーム最多の57試合でマスクをかぶり、打撃面でも.279(172-48)という高卒1年目とは思えない数字を残す。7月4日には1軍にも昇格し、代打としてプロ初出場。13日には8番キャッチャーでプロ初先発も記録した。
高卒ルーキーがキャッチャーとして先発出場するのは、チームとしては56年ぶりのことだったそうだ。それだけ、首脳陣からの期待が高かったことがうかがえる。さすがにすぐ1軍の打撃に対応するということはできず、初ヒットは7月27日とやや時間がかかったが、本人にとってもチームにとっても大きな経験となったことだろう。

だんだんと外野出場が増えてきた2年目

2年目、二軍ではキャッチャーとして54試合に出場。それ以外の守備にはつかなかった。打撃面ではプロのレベルにしっかりと対応し初め、.355(200-71)というハイアベレージを記録する。一軍ではまだ2割に満たない打率であったが、それでも15試合でマスクをかぶるなど、英才教育が続いていた。
しかし、8月に4番の中田翔選手が戦線離脱してしまったこともあり、ライトで起用されることも多くなる。だが、急な外野守備でもそつなくこなしてしまうのが近藤選手のすごいところだろう。結局外野でも12試合に出場し、以降も様々なポジションでの出場が多くなっていった。

内野としての起用がほとんどだった3年目

3年目は開幕から一軍のメンバーに名を連ね、一時期はケガで抹消となるものの、そのままシーズン終了まで帯同した(2軍での出場は4試合)。開幕当初は前年同様に捕手としての起用が続く。しかし、5月に入ってから小谷野栄一選手(現オリックスバファローズ)が戦線離脱をすると、サードとしての出場が多くなっていった。
緊急事態の中でのサードとしての起用だったのだが、そのままサードに定着し、大引啓次選手(現東京ヤクルトスワローズ)が休養の際はショートの守備につくこともあった。
驚くべきはやはりその対応力だ。外野でそつのない動きを見せ、さらにサードでは本当に急造なのかと疑わしくなるくらい、安定したプレーを見せていた。高校まで内野だったとはいえ、プロの世界とはレベルが違いすぎ、突然別のポジションを守ることは、普通に考えれば無理な話だ。しかし、見事に対応した近藤選手の野球センスの高さは、はかり知れない。
さらに、内野として出場するようになってからは打撃成績も向上していく。2割前後しかなかった打率も上昇していき、最終的には.258という自己最高の数字に。5月14日にはプロ初本塁打も記録した。結局2014年シーズンは、序盤に16試合キャッチャー出場があったのみで、サードで70試合、ショートとしても2試合に出場するなど、ほとんどが内野での出場というシーズンとなった。

打撃面では飛躍の年となった2015年

2015年は、大野選手や市川選手らがそろって開幕前にケガをしてしまったこともあり、再びキャッチャーとして勝負する年となった。開幕スタメンに名を連ねると、打撃でっもずっと3割を越えるなど絶好調。打順も当初は7番が多かったが、5月からはクリーンナップを任されるようになっていった。
リード面でも首脳陣から高く評価され、守備面でも打撃面でも、もはやチームに欠かせない存在となった。しかし、近藤選手には大きな課題が残っていたのだ。それは盗塁阻止である。
この年は62回ランナーに盗塁を企画され、そのうち刺すことができたのは12回。盗塁阻止率にして.192。正捕手としてはかなり厳しい数字だ。しかも、キャッチャーとして出場したのは58試合だけだったにも関わらず、これだけ盗塁を許してしまっていたのである。結局大野選手と市川選手が復帰した後は、指名打者として出場することが多くなり、そのままシーズン終了となった。
打撃成績はパリーグ3位の.326(435-142)に加え、8本塁打 60打点というを記録。四球も59個選んでおり、出塁率も4割を超えた。申し分のない数字だろう。しかし捕手としては、かなり厳しい現実を突きつけられ、正捕手獲得までの大きな課題も見えてきた年となった。

盗塁阻止が1番の課題

盗塁阻止に関しては一軍に定着する前から非常に苦しんでおり、12年~14年までの4シーズントータルでの阻止率は.195(87-17)とかなり低い。高校時代は強肩を買われてキャッチャーに転向しているように、決して弱肩というわけではない。むしろ地肩は強い方だ。
しかし、以前から精神的な理由でスローイングが不安定な状態になってしまうことがあり、「イップス」(精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のこと)なのではないかという指摘があったのも事実である。
近藤選手の場合、キャッチャーとしてランナーを刺すための送球が上手くいっていないことが多いので、もしこれが本当ならキャッチャーとしてはかなり致命的な状態かもしれない。
近藤選手はまだまだ若く、リード面でも高い評価を受け、バッティングに関しては文句のつけようがない日本を代表する捕手である。数年後、打てるキャッチャーとしてNPBに君臨する近藤選手を見てみたいものだ。