1995年第一次バレンタイン政権
ボビー・バレンタイン監督は千葉ロッテマリーンズを31年ぶりの優勝に導いた偉大な監督だ。
ボビー・バレンタイン監督はアメリカのコネチカット州に生まれ、1968年にロサンゼルス・ドジャースに入団。ケガの多かった現役時代、目立った成績は残していないが、1979年の引退後、指導者として活躍。1985年に35歳の若さでMLBテキサス・レンジャーズ監督に就任した。
その後、1995年に広岡達朗GMに要請され来日、千葉ロッテマリーンズの監督に就任する。日本で指揮をとることになったバレンタイン監督は「選手にプライドを注入すること」をテーマに監督に挑む。
結果、1995年はそれまでBクラスだったチームを2位に押し上げた。チームの成績は上がったが、バレンタイン監督は辞任する。チームやGMらと様々な溝が生じたと言われ、バレンタイン監督は、1995年は「不完全燃焼だった」とのちに語っている。
突然の辞任劇のなか、日本を離れようとするバレンタイン監督に、ロッテファンから監督続投を願う嘆願書が渡った。
2004年から2度目のロッテ監督
2003年11月、空港に詰めかけたロッテファンの「ボビー」コールの中、バレンタイン氏は再度監督として日本の地を踏むことになった。「全権監督」「オプション2年付き5年政権」といった活字が新聞を賑わせる中、バレンタイン氏のロッテ監督としての第二幕が始まる。
初年度の2004年シーズンは、チームの「現状分析」に力を注いだ年だった。組織内でのコミュニケーションや、フロント、ファン、選手の間の互いのリスペクト、フロントのリーダーシップなど、チームの課題が見えてきたとバレンタイン監督は語る。グラウンド上でも、バレンタイン監督の采配で若手を多く起用し、西岡剛選手や今江敏晃(現:年晶)選手などの若手が育つなどの面も見られた。
2004年はわずか1ゲーム差でプレーオフ進出を逃がしたが、この翌年へ向けての一歩は大きく踏み出していたのだ。
31年ぶりの日本一に輝いた2005年
2005年からロッテは「快進撃」と呼ぶべき結果を残す。初の試みとなったセ・パ交流戦では初代王者に輝き、オールスター戦ではチーム史上最多の10人が選出された。
シーズン成績では福岡ソフトバンクホークスを前に2位に終わったがプレーオフで勝利を収め日本シリーズに進出した。ロッテは阪神タイガースとの日本シリーズで4連勝を成し遂げ、日本一となる。さらにはアジアチャンピオンにも輝き、ゴールデングラブ賞は5人が受賞、人気と実力を伴った球団へと成長したのだ。ロッテにとって実に31年ぶりの日本一だった。
このように、実力のみならずファンからの人気も急激に高まった理由は、バレンタイン監督をはじめとする球団の「組織力」の変化と言えるだろう。ロッテは、県や市、ファンらと一体になって球団を盛り上げる組織に変わっていったのだ。趣向を凝らしたファン感謝イベントやマスコットなど、ファンサービスはロッテの独壇場となった。
ボビーマジック・ボビーチルドレン
ロッテは2005年日本シリーズで阪神タイガースを相手に4連勝した。新記録となる33得点という驚異の完勝にメディアは驚き、「ボビーマジックの勝利」とも言われた。しかし、メジャーでの経験も長いバレンタイン監督にとって、これらは必然だったと言える。
バレンタイン監督のもとでは、日替わり打順とも呼ばれた、スタメンを固定しない采配が功を奏し、今江選手、サブロー選手、福浦和也選手らの優勝へと導く「マリンガン打線」が火を吹いた。
先発投手の采配には5人から6人でローテーションを組み、投球数にも気を配り、投手自身の判断に任せず休養を取らせることで、無理のない登板となり、チームを優勝まで手繰り寄せたのだ。
後にバレンタイン監督は、「(ボビー)マジックなどない」と語っている。選手一人一人が最大限に力を発揮できる環境を整え、フロント、チームメイト、ファン、それぞれがお互いにリスペクトしあった結果の優勝だったと言えるだろう。
また、バレンタイン監督のもとで特に大きく成長した西岡選手、今江選手は「ボビーチルドレン」と呼ばれている。西岡選手はロッテ時代、パリーグ史上最年少での盗塁王となり、その後メジャーリーグにも挑戦するほどの打者に成長している。
バレンタイン監督は2009年、日米通算1600勝を記録、師と仰ぐトミー・ラソーダ監督(メジャーリーグ監督)の勝利数を上回ったが、この年チームは5位に沈む。バレンタイン監督は高年俸もあり、契約不更新となったこの年にチームを去ることになる。
ボストン・レッドソックス監督時代
ロッテを退任後メジャーリーグ解説などを務め、2012年にレッドソックスの監督に就任、自身の10年ぶりとなるメジャー監督に復帰する。
しかし、しばしばフロントや選手との衝突があった。レッドソックスは、ジョシュ・ベケット選手、エイドリアン・ゴンザレス選手、カール・クロフォード選手、ニック・プント選手といった主要4選手をトレードで放出し、獲得した選手はジェームス・ローニー選手以外マイナー選手ばかりだった。年俸削減のためのこの大型トレードによって、バレンタイン監督はファンから大ブーイングを受けることになる。
中心選手たちにはバレンタイン監督との確執があったとされ、選手たちが監督退任を直訴していたと報じられた。この年、チームは大敗。バレンタイン監督は責任を問われ、契約を残したまま解任となる。
その後は解説者として
明るい笑顔のバレンタイン監督は、とにかくファンサービスを大切にすることでも有名だ。2006年にはベストドレッサー賞を受賞、その他CM出演やバスのアナウンスを務めるなど、フロントやチームメンバーとは敵対する面もあった。しかし、チャーミングな印象でマリーンズファンからは暖かく見守られていた。道化師と戦略家の面を併せ持っていた監督と言えるだろう。
2016年にはバレンタイン氏は、ケネディ駐日大使に次ぐアメリカ駐日大使の候補とまで噂されたが、実際は就任に至らなかった。
バレンタイン氏はその後も、様々な球団から監督候補として米紙を賑わせている。今後も、「ボビーマジック」を見ることができる日は来るのだろうか。