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日本に戻ってきたボビー・バレンタイン監督【球史に名を残した偉人達】

2017 6/28 09:44cut
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1995年第一次バレンタイン政権

ボビー・バレンタイン監督は千葉ロッテマリーンズを31年ぶりの優勝に導いた偉大な監督だ。
ボビー・バレンタイン監督はアメリカのコネチカット州に生まれ、1968年にロサンゼルス・ドジャースに入団。ケガの多かった現役時代、目立った成績は残していないが、1979年の引退後、指導者として活躍。1985年に35歳の若さでMLBテキサス・レンジャーズ監督に就任した。
その後、1995年に広岡達朗GMに要請され来日、千葉ロッテマリーンズの監督に就任する。日本で指揮をとることになったバレンタイン監督は「選手にプライドを注入すること」をテーマに監督に挑む。
結果、1995年はそれまでBクラスだったチームを2位に押し上げた。チームの成績は上がったが、バレンタイン監督は辞任する。チームやGMらと様々な溝が生じたと言われ、バレンタイン監督は、1995年は「不完全燃焼だった」とのちに語っている。
突然の辞任劇のなか、日本を離れようとするバレンタイン監督に、ロッテファンから監督続投を願う嘆願書が渡った。

2004年から2度目のロッテ監督

2003年11月、空港に詰めかけたロッテファンの「ボビー」コールの中、バレンタイン氏は再度監督として日本の地を踏むことになった。「全権監督」「オプション2年付き5年政権」といった活字が新聞を賑わせる中、バレンタイン氏のロッテ監督としての第二幕が始まる。
初年度の2004年シーズンは、チームの「現状分析」に力を注いだ年だった。組織内でのコミュニケーションや、フロント、ファン、選手の間の互いのリスペクト、フロントのリーダーシップなど、チームの課題が見えてきたとバレンタイン監督は語る。グラウンド上でも、バレンタイン監督の采配で若手を多く起用し、西岡剛選手や今江敏晃(現:年晶)選手などの若手が育つなどの面も見られた。
2004年はわずか1ゲーム差でプレーオフ進出を逃がしたが、この翌年へ向けての一歩は大きく踏み出していたのだ。

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