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ミスター赤ヘルこと山本浩二選手の現役時代【球史に名を残した偉人達】

2017 6/28 09:44cut
野球,ヘルメット
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初優勝からカープ黄金期へ

1975年、4番に定着した山本選手は、オールスターゲームでもアベックホームランを放つなど、衣笠祥雄(きぬがささちお)選手とならんで快進撃を続け、二人のイニシャルから「YK砲」と語られ続けている。広島カープの人気は広島を超えて全国的になり、神宮球場も後楽園球場も赤色に染まる赤ヘルブームが巻き起こったのだ。
しかし、優勝争いを知らない山本選手たちは「一年間の戦い方を知らなかった、辛くて辛くて」とのちに語り、快進撃を続けることがいかに体力的に重いものだったかが感じ取れる。その重圧に耐え、「復興のシンボル」とされた広島カープは、原爆投下から30年目の1975年、初優勝を果たす。「お荷物球団」と揶揄され、優勝争いなど知らなかった球団で、山本選手はチームを引っ張るキーマンとなったのだ。
プレッシャーと戦いながら迎えた10月15日の巨人戦、子供の頃からずっと応援してきた広島カープは初優勝。「やったぞー!」と喜びをあらわにし、大きな声で叫ぶインタビューの姿は今でも語り継がれる。
このシーズン山本選手は打率.319と好成績を残し、首位打者とMVPのタイトルを初めて獲得したのだ。

「ミスター赤ヘル」「オールスター男」

1975年の球団初優勝から、かつては「お荷物球団」とさえ言われていたチームは汚名返上、「勝つためにはどうすればいいかを選手同士がよく話すようになった」と変化が現れ始める。選手同士のお互いに負けたくないという気持ちがキャンプなどでの練習態度にも現れ、チーム内での切磋琢磨が強さを生んだと言える。
山本選手のカープ在籍中、その後もチームは1979年、1980年、1984年、1986年とリーグ優勝を重ね、まさにカープ黄金期を築いたのだ。
また、山本選手は元祖「オールスター男」とも言われ、オールスターには通算14度出場し、14本塁打は歴代一位。27打点は歴代三位タイと、お祭り男ぶりを発揮した。

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