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大投手も監督としては苦戦!?金田正一監督【球史に名を残した偉人達】

2017 6/28 09:44cut
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20年の現役生活から引退後4年で監督へ

金田正一選手は選手時代に大きな実績を残し、1969年に巨人を引退。現役生活は20年に及び、現代野球では達成不可能であろう通算400勝を達成している。
400勝を達成するにあたり金田選手はトレーニングをするのはもちろん、食生活、身体のケアなど、近年では当たり前となっていることを50年以上も前の時代から行っていたのだ。「金田天皇」とも呼ばれるほど傍若無人に振る舞っていたと言われていたが、金田選手は理論も備わっていたのだ。
引退後は監督、コーチになることもなく1970年から1972年までテレビ、ラジオの解説者を務めながらタレントとしても活躍していた。その金田選手が監督として現場に復帰したのは1973年のことになる。1970年に優勝しながらも1971年に2位、1972年に5位となっていたロッテオリオンズの監督へ就任が決まったのだ。
金田選手は現役時代を国鉄スワローズ、読売ジャイアンツで過ごしていたこともありパリーグ、そしてもちろんロッテでのプレーはない。選手時代にあれほどの成績を残した金田選手が監督の立場になって、どのような采配を振るうのかに注目が集まった。

2年目となる1974年に日本一

金田選手は1973年にロッテの監督へ就任し初めての指揮を振るう。このシーズンからパリーグは1シーズン制から前後期の2シーズン制となった最初のシーズンでもあった。ロッテは70勝49敗11分の総合2位となった。1972年シーズンは59勝68敗3分と9個の借金を抱えていたチーム状況から立て直すことに成功したのだ。
翌1974年シーズンは前期2位、後期1位で初めてプレーオフに進出す。シーズンでは金田監督の実弟でもある金田留広選手が16勝7敗、防御率2.90の成績で最多勝、最優秀選手に輝く活躍を見せ、まさに金田一家で優勝を勝ち取った。
このプレーオフでは前期で1位となっていた阪急ブレーブスと対戦する。第1戦、第2戦とビジターである西宮球場でロッテは連勝し、第3戦でホームである県営宮城球場へともどった。雨天中止を挟んで迎えた一戦でロッテは阪急を3-0で完封。みごとに3連勝で日本シリーズへと進出を決めたのだ。
日本シリーズではセ・リーグ王者の中日ドラゴンズと対戦する。中日に1勝2敗と劣勢に立たされるが、そこから3連勝を果たしみごとに優勝を達成した。この年はミスタープロ野球こと長嶋茂雄選手の引退年度と言うこともあり「長嶋が最後の年だったから巨人とやれなかったのは残念」とも語っている。

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